|
担当してわずかな時間しか接することは出来なかったのですが、同じ施設内では以前からの顔見知りでした。
暮れから調子を崩して入院していたので、先月も顔を見に行きましたが、元気になったなと見えたので、突然の死に言葉を失いました。
何も出来なかった事に悔いが残ります。病棟で彼と話した事を思い返すと、顔は薄く笑って話していましたが、辛かったのだろうと思います。
それでも、入院中はドクターや看護師が付いていますから安心していたのですが、残念です。
病院で働いていると、少なからず人の死に接します。なかなかその事実を受け入れることができません。
まして、自分が担当としてかかわったりすると、その患者さんに対する思い入れが強くなるのは仕方のない事です。
それだけに、亡くなるとショックです。
私は弱い人間なので宗教的な信心にすがっていないと自分が壊れそうに感じます。
そんな事もあり、辛い事があるたびに信仰心が強くなっていくようです。
今は送る立場ですが、いずれは逝く身です。
今ここを生きることは生きる死ぬを超える事と云われますが、なかなかそうはいきません。
体調が悪くなるだけで、死ぬのではないかと思ったりします。
そんな時、生きる事に執着している自分に気づかされます。
阿弥陀仏はそんな人間の弱さを当たり前に分かったうえで、弱い、煩悩だらけのままにすくい取ると云われるのです。
なんと、おおらかな、有り難い仏様ですね。
人の死を悼む。
逝かれた人は私の心の中で今も生きています。
共に生きています。
以前に亡くなった、我が母も父も叔父や叔母も友たちも皆、生きています。
きっと、私が逝く時、皆一緒に浄土に逝くのだと思っております。
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用


