|
そう、ホスピスに入る前でブログはやめたんだけど、
あの後、父はホスピスに入りました。
病院からホスピスへの道のりは介護タクシーで向かいました。
いたずら好きだった父は、祖母を驚かせたかったのか、
家にもう一度足を踏み入れたかったのか、
「ちょっと、うちによってからホスピス行ってみっか」と。
体には負担がかかっただろうけど、あの寄り道はほんとに
してくれてよかった。おばあちゃんはびっくりして、心配性だから
早くもう行けとかなんとか言ったんだったと思う。
滞在はほんと一瞬。
2階にある父の部屋へはとてもじゃないけど行けないから
おばあちゃんの部屋に少しだけ入って、にやりとしてたのかな、
私は泣きそうになるのをがまんするのに必死で
あんまり、覚えていない。
それから車で走って5分ほど、ついにホスピスへ。
ホスピスは、病院とは、いい意味でも悪い意味でもたしかに違った。
たとえば、壁や廊下は、圧迫感のないように、
あたたかみを感じさせるように木目を基調にしている。 階下には、広々した談話室や暖炉やピアノや
ちょっとした図書コーナーがあり、患者が食べたいものを
いつでも調理していいように台所が備わってる。 でも、完全個室の十数個の個室の扉はすべて、
いつでもぴっちりと閉まってる。
父の部屋は、通路の一番奥の右側の角部屋。
だから、通路をはさんで右も左も閉まっている病棟を
通り抜けるときは、ちょっと不気味でもあり、
お見舞いの人が出入りしているとこに出くわしたときは
思わず部屋をのぞきこみたくなる。
「ああ、来てしまった」という感じと、
でも、病院の看護婦さんの「またかよ」っていう冷たい視線に
さらされないんだという安堵と、
とにかく気持ちはぐちゃぐちゃだった。
あの日に、きっぱり言ってあげれば良かった。
あんなにこばんでいたホスピスに入って、
はげしく落ち込む父を支えれば良かった。
もしこのブログを、私と同じような立場で読む方が
この先いたら、
仕事も住む場所も
一回捨ててでも親の最期には、寄り添ったほうがいい。
もしどうしたらいいかって少しでも悩むなら。
絶対、そうしたほうがいい。
そう思う。きっと一緒にいられる時間は限られてる。
半年とか、長くても1年とか。
その間はきっと長く感じるだろうけど、過ぎたら、どうにかなる。
無責任に書くけど、他人の私だから言えることだと思う。
私の時は、みんなが
「お父さんはそんなこと望んでない」
「月に1回東京から通ってきてくれるだけで大変よ」
「赤ちゃんも小さいんだし」
「家庭が第一よ」
どれもこれも
父よりも、これから生き続ける私や私の娘を守るための甘い嘘だった。
それに甘えたのは私だけど、
絶対、最期の最期、娘に、息子に、一緒にいてほしかったと思う。
最期の最期、つらくてつらくて、幻に苦しんだ父を
支えるのは、私であるべきだった。
ホスピスに甘えた。
他人に甘えた。
父に甘えた。
最期の電話は
「おとうさん、このまえ元気なくてごめんね。でも、がんばるから」
息みたいな声で電話してきた時になってやっと、
上司に「介護休暇をとろうと思います」と伝えた。
それじゃ、間に合わなかったんだ。
だから私はずっと後悔してる。
そしてこの先、一生後悔する。 そんで、後悔したってあの時の
父の辛さは1ミリも軽くならない。
|
ガン闘病
[ リスト | 詳細 ]
全1ページ
[1]
|
久しぶりにyahooのメールアカウントを再開したら
このブログが出てきた。作ったことも忘れてた。
お父さんのことを思って記録を書けば書くほど
ああ、もう間もなくお父さんは死ぬしかないんだ、と思って、
そして、こんなブログ書かれているのを知ったら悲しいだろうと思って、
やめたんでした。
でも、今読み直したら
「ああそうだった!」と思い出すこともあり
スパムコメントにまぎれて「うちも同じ病を…」とコメントのこしてくださった方が
いらっしゃったこともあり
もう一度、記憶に残っている限り、
父との癌闘病記をまとめておこうと思います。
父が癌で亡くなり、もうすぐ3年がたちます。
|
|
93歳になる祖母から電話がきた。 |
|
来週、ホスピスの部屋がひとつ空くという連絡が来て3日。 |
全1ページ
[1]







