愛国心とは何か

歴史を辿ります。パソコン不調につき、しばらくメモに使います。

闘病日記(転載も含む)

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全28ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

「そんな軽装でどこ行くの?」

***

私が35キロ(160センチ)を切った時点で、母が精神科医に往診の依頼をした。

白衣を着て、薄笑いを浮かべた医者がずかずかと乗り込んできた。

私は危険を感じて、最小限の荷物を揃えて、出て行こうとした。

その瞬間、母と彼が私に飛び掛ってきた。
羽交い絞めにして、手足を押さえ、デポ剤を一本。

「まだだめだね。もう一本行きますか」
・・・そして、二本目。

イメージ
私はそのまま床に寝たきり・・・必死で抵抗しようとしても動けなかった。

その後はあまりよく憶えていない。
気づいたら、国立の、病院の、鍵のかかる病棟の一室にいて、他の入院患者さんたちが、ベッドの周りに集まっていた。
 
 
裸の写真を何枚も撮られた。

そして、医者と母がしばらく話し合ったのち、手術が行われた。

太ももの付け根に、尿カテーテルと、高カロリー輸液が縫い付けられ、手足はベッドに固く縛り付けられた。
 
一本4000kcalの高カロリー輸液を一日あたり三本、24時間、二週間、外されることはなかった。
 
 
この体験を”仲間”に語って、共感してくれる人はわずかしかいなかった。
 
そういう仲間は、先に逝ってしまった・・・
 
 
***
あれから25年の月日が経った今・・・

お風呂であの傷を目にするたびに、私は夜中に「助けて」!と叫んでしまう。 自分の声で飛び起きる。 

その後は眠れない。 

私がびっくりしておきるくらいだから、周りの人にも聞こえている。

隣の部屋の女性が、何度か、心配して部屋を訪ねてきた。

私は、何も答えられない。

悪いことをしているような気がする。
 
いつも、罪悪感がある。
 
生まれてきてごめんね、生きていて、ごめんね・・・
 
そんな言葉が頭の中を堂々巡り。
 
どうすることもできない。

生きていくのがつらすぎる。

***

イメージ
 
 
誰か、たすけて・・・

***

あの男は、「摂食障害の第一人者」として大手を振って歩いている。
絶対に許せない。

母は、許せないけど、許してしまう。
悲しい娘の運命・・・

父も、母も、姉も、精神的な問題を抱えていたのだろう。

もちろん、あの医者も・・・

転載元転載元: 心機一転

「炭鉱のカナリア」

 
むかし日本に炭鉱があったころ、地下の坑道がしばしばガス爆発を起こし、多くの炭鉱作業員が犠牲になったので、危ないガスを検知するために地下の坑道にカナリアの籠を持って入っていたといいます。
 
危険なガスが出てくれば、最初にカナリアがおかしくなるので、それを見て退避するという事だったそうです
 
 
私は、あの「オウム真理教事件」で富士山麓の施設を強制捜査するときに毒ガスサリンを検知するために機動隊がカナリアの籠を先頭に掲げて突入したのをテレビで見ました。
 
2011年3・11直後に「はてなブログ」で炭鉱のカナリアについて触れ、日本人に警告を発してくださった方がいらっしゃいました。
 
今はどうしているのか、わかりませんが、一部転載させていただきます。
 
2011-03-24 日本人よ、今こそ「炭鉱のカナリア」となれ

 アメリカの作家、カート・ヴォネガットはかつて、「炭鉱のカナリア」理論を唱えた。

 工夫たちは、カナリアを入れた鳥かごを持って炭鉱に潜った。有毒ガスが発生したら、カナリアが真っ先に悲鳴を挙げて失神する。それを見て工夫たちは異変を察知し、炭鉱の外へと避難する。「生きた警報装置」というわけだ。

 芸術家とか作家といった表現者は、炭鉱のカナリアよろしく、世の中に異変が起きたとき、いちはやくそれを察知し、大げさに悲鳴を上げて人々に警告を発する役目である、というのがヴォネガットの趣旨だろう。

 おそらく、どこの国の表現者たちも、今までその役割を忠実に果たしてきただろうと思う。もちろん日本の表現者たちもサボってはいなかった。

その警告は、よく聞き届けられたかどうかは別だが。


 ところが、この大震災、津波被害、そして原発事故と続く矢継ぎ早の被災により、今や日本全体が、世界にとっての「炭鉱のカナリア」と化した感さえある。

いや、そうならなければならないと、言い切ってもいいのではないか・・・
 
近頃、話題になっているアレルギー疾患や、摂食障害、アルコール依存症、ひきこもりなどまさに「炭鉱のカナリア」の苦しみの象徴である。
 
 
 
>Q、暴力を受けることによってどんな影響がありますか?
 
 
A,配偶者、親などからの暴力(DV)は、あざや骨折といった身体的なケガだけでなく、被害者の精神面にも大きな影響を及ぼします。
 
暴力を受け続けた結果として、「誰も助けてくれる人はいない」というあきらめ・無力感や「相手が暴力を振るうのは、自分に非があるからだ」という自責の念を抱く被害者も多くいます。
 
また、暴力を受け続けていると眠れない、やる気が出ない、記憶があいまいになる、びくびくする、感情がなくなる感じなど、様々な症状となってあらわれることがあります。
 
それらの症状はPTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断されることもあります。
 

これらの症状はDV加害者との離れた後に回復の過程として起きることもあります。
 
 
Q, DV加害者から逃げた後、どうやって生活していけばよいかわからず、そのまま虐待を受け続けています・・・。 医療機関を含めて、公的機関に相談すると、ますます傷が深くなり、もう立ち直れないのではないかといつも不安です。
 
独身であること、心身ともに疲弊していること、職歴がないことなど、不利な条件がそろっています。
 
 
>A、心配されるのは当然です。
 
自立するに当たっての生活資金を確保する制度として、資金の貸付、各種手当てまたは生活保護制度があります。
 
被害者が自立して生活していくために入居する主な住宅・施設としては、都営住宅や各種福祉施設等があります。
 
就労支援のための相談窓口には、東京しごとセンター、ハローワーク等があります。いずれも詳細については、各機関へご相談ください。


 
http://miyoshiyuzuru.net/shinjou.html

***

 >治るのに必要なのは"安全な場所と世話をする人"である。

 ただし、人間はいろんな可能性を持っている。

 治るのになくてはならないつながる先はなんでもあり得るようだ。

 外にはなくとも自分の内的イメージにつながって育みながら自らを育てていった人はいる。

 
そのためには、治る力を阻害する内的外的因子と、治る力を育む内的外的因子を協力しながら見つけてつなげていき、そのための時間をかけた努力をしなければならない。


 そして足取りが安定するまで月日と行が必要である。

行とは、日常生活。

すなわち、掃除洗濯食事作り等の家事参加が基本である。



***

民間治療場として明治以来宮城県定義温泉は精神障害者を受け入れて高い治療実績をあげた。


 「10年も病院に居るとね、もうズタズタになってくるんですわ、それが、2,3週間でビターッと良くなるんです」 


(「治療の場所と精神医療史」 橋本明 2010年 日本評論社 76ページ;五代目 石垣幸一氏)


 ここには治す場としての温泉と従業員との交流、温泉や自然との交流、付き添いの家族とのつながりがある。



***

 私のクリニックには関東一円から患者さんが殺到した時期がある。


 今年70歳になる私は初診の患者さんは近隣地域に限ることにした。


 遠くから相談に来た方でも、地元の精神科医になんとかつながった場合はその後音沙汰なく便りないのは良い便り。



 しかし私のクリニックに幻想を持ってきた人の経過は必ずしも良くない。


 なぜなのか?

 立ち直るには物凄いエネルギーがいる。

そして、周囲の協力もいる。


 ”名医”と期待して一発逆転のホームランを狙ったらまず三振してもっと悪化する。

 なぜ病気になったか、なぜ治らないか、どうしたら治るか?


 愛着障害、発達障害の有無を含めて、初めから検討し直し再度1歩を踏み出さなくてはならない。

 家族会の役割は大きいと思う。


 ヘルパーの活用等、既成システムもなくてはならない。


 当事者自らが家族と時には格闘しながら主体となるしか立ち直る道はなく、その援助にスタッフ、医師側が徹して成功した事例が出てきている。

 原理的には可能と思う。


 ただし制度的な保障は非常に乏しく、現在日本の精神医療の現場は1970年代より変質し後退していると私は思う。


 この責任は第一に、現場の苦労も患者、家族の思いも通じない国の役人と政治家、専門家にある。



 神奈川県、北海道のみならず保険収入では赤字になるため全国の公立総合病院の精神科は次々と閉鎖に追い込まれていることを再度問う。


 皆様はご存知であったかと。


 通院に便利で身体科にも気軽に受診できる町中の公立総合病院の精神科は無くなり、郊外の不便な単科精神科病院のみ延命させ続けているのが今の日本の現状である。


 精神疾患は5大疾病と国は言っても精神科外来収入は保険改定の度に切り下げられ、その下げ率は通院カウンセリング料を見ても390点から330点と13%におよび、ここでも精神科は3分の1でよいという精神科特例の法の精神が貫かれているのである。


 大部分の国費は精神科病院向けである。
7月12日(土)適当な人に依存する

 適当な人への依存は大切です。

なんでもかんでも一人でやり抜かなくてはと、ガムシャラになるのはよしましょう。

 独立心があり、自分のことは自分でするという精神は立派ですが、時とところによっては、依存が必要になります。

 赤ちゃんは、親や親代わりになる人がいなくては生きていけません。

泳げなくて、溺れそうになっている人は、助けてくれる人が必要です。

これと同じで、回復の初心者など、あまりにも頭と感情が混乱し、オーバーヒートしている人は、他人に助けてもらったり、適当な人に依存したりすることが大切です。

依存しすぎてしまって、独立できなくなるのではないかと心配する必要はありません。

少しずつ力がついてくれば、だんだんひとり立ちできるようになります。

 ただ、依存する相手は、どんな人かをよく確かめてからにしましょう。

健全な行動、思考を示している先行く仲間、信頼できるサイコセラピストなど、自己の確立に努力している人を選びましょう。
出典 西尾和美 「今日一日のアフォメーション」

全28ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事