英作文・翻訳演習

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1944年11月に米国で行われた飢餓実験の壮絶なる記事を見つけました。
一部(翻訳されたもの)を紹介します。
 
この記事の英語ページはこちらをご覧ください。
http://www.bbc.co.uk/news/magazine-25782294
 
 
実験は1944年11月に始まり、最初の3カ月間は減食させられ、観察されました。

その後、食事量が大幅に削減されました。

すぐに食べ物のことしか考えられなくなりました。

***

「食事が出されると3分ぐらいで食べて、外に出ました。
そこにいたくなかったのです」
 
サットンは食堂での食事時間を思い出して言います。

「被験者の中には、ぐずぐずと20分かけて食べる人もいましたが、わたしにはそんなことは我慢できませんでした。ずっと料理の本を読んでいる人もいました」



若者たちは1日に2回食事をしました。

キャベツとカブとコップ半分の牛乳といった食事でした。
 
ライ麦パンと豆が出る日もありました。



ヨーロッパでお腹を空かせていた多くの人たちと同じように、若者たちの口にも肉は決して入らず、エネルギー摂取量は1800キロカロリー以下に抑えられていました。

しかしサットンは、乏しい食事を紙袋に入れて、ガールフレンドをミネアポリスの最高級レストランでのディナーに連れ出したときのことを覚えています。

***

「彼女をレストランに連れて行ったのは、彼女が食べるところを見て楽しもうと思ったからでした……

でもウエイターが食事を運んできたとき、彼女はどうしても食べることができなかったのです。

それでわたしは少し気を悪くしました。大金を払って豪勢な食事を頼んだのに、食べられないなんて」

***

実験は厳しいものでした。
 
6カ月の間、若者たちは空きっ腹を抱えながら毎週22マイル(36キロメートル)歩くか走るかすることになっていました。

毎日のエネルギー消費量を、摂取量より1000キロカロリー以上多くしなければならなかったのです。



歩いているとパン屋などの誘惑が目に入ります。

被験者の中にはついに耐えきれなくなった人たちもいました。3人が途中で実験をやめました。



残った若者たちは、体重をおよそ25パーセント減らし、多くが貧血や足首のむくみ、無気力や極度の疲労を経験しました。

肋骨が飛び出し、脚は実験前の腕と同じくらい細くなりました。

また、精神的な影響もありました。


「しばらく食事をしていないと、感覚がなくなります」とサットンは言います。

「痛みはまったくありませんでした。ただとても弱っていました。性欲も消えました」



若者たちは不安で憂鬱になりました。

「何か良いことがあると喜びを爆発させ、悲観的になるとひどく落ちこみました」とサットンは思い出しながら話します。

「とても仲良くなった友だちがいたのですが、よく彼にきついことを言ってしまって、毎晩のように彼のところに謝りに行っていました」



若者たちの対処方法はそれぞれでした。頑張って法律の学位を取る勉強をした人もいました。

サットンは哲学や神学の本を読み、クエーカー教徒の友人や教会に慰められました。


他の者たちは苦闘し、時には禁止されている食べ物を口にして、後になって罪悪感で落ちこむ人もいました。

木を切っているときに指を切り落とし、なぜ、どのようにそうなったのか説明できない人もいました。


***
 
最後の数カ月間、ミネソタの被験者たちは健康な状態に戻るよう食事を与えられました。

それぞれのグループに、違った食事とカロリー量があてがわれました。しかし、彼らが完全に回復するまでには何カ月も、あるいは何年も――彼らが家に帰ったずっと後まで――かかりました。


ミネソタを離れる日、マーシャル・サットンはシカゴへ向かうバスに乗りました。


「バスが止まるたびにわたしはシェークを2杯ずつ飲んで、世界は素晴らしいところだと思いました」と彼は言います。


「好きな食べ物を好きなだけ食べられるというのは素晴らしい気分でした。でもわたしには体力がありませんでした。とても幸せで、食べてばかりいましたが、正常ではなかったのです」



他のほとんどの被験者たちと同じように、サットンは健康で成功した人生を送りました。

1949年にはガザ地区で飢えた難民のために働き、その後米国でのクエーカー教徒のプロジェクトに参加しました。

95歳になった現在、彼はボルティモアにあるクエーカー教徒のコミュニティで暮らしています。

70年たった今でも、彼は実験に参加してよかったと思っています。

南太平洋で友人たちが生命を危険にさらしていたときに、自分の身を捧げられたことを彼は誇りに思っているのです。
 
 

***
 
実験は現在でも、栄養と摂食障害を研究している学者によって、参考資料として引用されています。

そして対象者が飢え続けた場合、心理学的な問題にどこまで対処できるかという多くの疑問も提示しました。



しかしある意味では、プロジェクトは手遅れでした。

実験が続いている間に、ナチスの強制収容所がひとつ、またひとつと解放されていったのです。
 
 
そして飢餓の恐怖の全容が明らかになりました。
 
1945年4月、BBCの特派員エドワード・ウォードが、解放7日後のブーヘンヴァルトの強制収容所に入りました。



「痩せ衰え、虚ろな目をしたひとりのドイツ系ユダヤ人が、ふらふらとわたしに歩み寄ってきた」と彼は記事に書いています。

その男性は、大きな戸棚の扉を開けました。中には20人の遺体が積み上げられていました。

***

 
「不幸な被収容者たちはナチスの拷問からは自由になったが、飢餓からはまだ自由になっていないのだ」



実験結果は、第二次世界大戦の犠牲者の多くにとっては手遅れだったものの、他の人たちを救う助けにはなりました。

1946年、研究者たちは救援活動をする人に向けてガイドブック『Men and Hunger(人と飢え)』を出版しました。

ガイドブックには次のようなアドバイスが書かれています。

■ 空腹の人は、些細なきっかけで口論をしがちですが、たいていはすぐにそれを後悔します。



■ 飢えるとプライバシーと静けさが必要になってきます。

あらゆる種類の騒音は、特に食事時には非常にやかましく感じられます。

■ エネルギーは蓄えておくべきものです。

居住空間と食事の場所は、利便性を考えて配置しましょう。

■ 働いているあなたが、勤労者なら、空腹の人の感情が天候に左右されやすいという事実を考慮するでしょう。

天候の悪い日のために、心が晴れるような何らかの行動を見つけておきましょう。

コーチ(COACH)

コーチ(COACH)の意味の変化
 
 
 
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参照 フリー百科事典 wikipedia(リンク
 
 
>「コーチ」という語は、ハンガリーコチKocs)という町で農閑期の収入源として作られた四輪馬車・コーチ(kocsi)に由来する。
 
世界初のサスペンシ(※)付きの馬車でもあり、以後「コーチ」は馬車の代名詞となった。
 
19世紀ごろ、オクスフォード大学で、家庭教師チューター tutor)を、目的地に運ぶ馬車になぞらえコーチと呼ぶようになり、指導者のことを指す言葉となった。
 
 
また、四輪馬車・コーチは運転が難しく訓練が必要であることから、コーチ自体に「訓練」という意味が生まれた。
 
 
近年、アメリカ英語では、この語をスポーツ以外の世界でも使うようになり、日本語でもビジネスの世界で「コーチング」などと取り入れるようになった
 
 
suspension(懸架装置)とは、主に車両において、路面の凹凸を車体に伝えない緩衝装置
 
◆まとめ

コーチの語源は、ハンガリーの町の名前 「kocs」に由来する。

この街で、四厘馬車が最初に作られたことから、町の名にちなんで「kocsi」が英語に入って”coach”となった。


指導者は「学習者を運ぶ道具」

すなわち、自分より才能のある人を指導する人物であった。

そこで、馬車を意味する"coach" が学業やスポーツの指導者を意味するようになり、19世紀には、学生の俗語で家庭教師も「コーチ」と呼ばれるようになった。

日本では明治時代から、主としてスポーツの指導者の意味で「コーチ」の語が広まった。

高級ブランドバッグのブランド”COACH"の名前の由来は定かではないが、「大切なものを送り届ける」とい意味で馬車を語源とするという説が定説になっている。
 
***
 
いまだに、「他人より上位に立ちたい」「他者を支配したい」という願望を持つ人種が存在するようです。
 
中身はわかりませんが・・・
 
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The number of Syrians fleeing the civil war and seeking shelter in Malaysia has nearly tripled in recent months.

 
Last updated: 12 Feb 2014 08:09
 
※美しい英語なので、意味がわからなくても、シャドーイングしてみてください。
 
2〜3度繰り返していると、何となくわかってくると思います。
 
 
 
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 原文は こちら
 
英語はアジア国民どおしの共通語にもなるので、聞ける、書けるようにしておいたほうがいいかもしれないと思いました。
 
何が起きるかわからないからです。
 
 
***
 
 
ちなみに、日本は確実に、ファシズムに向かっているようです。
今は国民どおしが非難・攻撃しあうときじゃない。
戦争に向かう流れを何とか阻止するときだ。
 
>特定秘密保護法の秘密指定・解除の基準を首相に答申する有識者会議「情報保全諮問会議」の7人の委員のうち5人が法律に賛成していることが、毎日新聞の入手した初会合(先月17日)の議事録で分かった・・・
 
(毎日新聞 2月13日 朝刊)
言語にとって視覚と聴覚は同等ではありません。


文字の獲得以前に言語は存在します。


まず音声だけの言語があり、文字を獲得した場合には視覚言語も付け加わることになります。

つまり、聴覚言語はある言語の全体を構成し得るが、視覚言語は聴覚言語に付随する形でしか存在しないといえます。


***
音声だけの言語はありますが、文字だけの言語というものはありません。

視覚言語は背後に音声言語がなくては存在できないのです。

文章というのは書かれた言葉、つまり視覚言語です。


視覚言語は聴覚言語なしでは存在し得ないので「完璧な文章なんて存在しない」とも言えるわけです。

どんな文章も、ある意味では存在しなくても構わないはずです。


***

ところで、視覚言語と聴覚言語の関係は文明と文化の関係と同じです。

文明というのは視覚が生み出すものです。

人間が脳の中の情報を脳の外に具現化するのが文明であり、巨大建造物や複雑な機械などがその産物です。

一方、人間が外界との関係についての情報を(非視覚的に)内面化するのが文化です。

その産物は手作りの品物や身体による表現ですが、本当の主役は職人や表現者です。

彼等の技能は複雑な機械にも優るものであり、巨大建造物以上の感動を生むこともあります。

***

視覚言語が聴覚言語なしでは成り立たないように、文明も文化なしには存在できません。

巨大建造物も複雑な機械も、それを作る人間の身体を制御する文化なしには存在できないからです。

***

一方、文化だけが存在する社会はあり得ます。


文明社会はそのような社会を「未開」と呼びますが、文化だけで存在できる以上、文明の方が文章と同様に「ある意味では存在しなくても構わない」のです。


***
情報の視覚的な具現化である文明の巨大さを支えるのは、視覚言語である文章(文書)だと思われます。

文明も文章も「現在の人口を支えるため」存在しますが、本質的にはなくても構わないものなのですから、必要最小限にとどめることが肝心だと思われます。

そして、文明や文章という意識的情報を最小限にとどめることで美しさや面白さが生まれると考えられます。


***
「文字にして表現すること」に何か意味があるとしたら、それは、自分の意識下にあって、いまだに意識していない何かに気づくため、ということでしょう。

私たちは自分のことは知っているつもりになっていますが、私たちが考えていること、感じていることのほとんどは意識されていません。

文字にしてみると「私はこんなことを感じていたんだ!」と驚くことがあります。

カウンセリングなどでも同じことがおきるのでしょう。

話してみる、すると思いもよらない言葉が出てくる。

私は、こんなことを感じていたんだ・・・と気づくのです。

表現することによって、自分を知ることができるのです。
 
 
参照 小脳論
「かあさんの家」
 
Yoroku: A homely place of rest in life's final years
 
 
英訳 出典
 
人生の幕を閉じるとき、できれば自分が生きてきた所で穏やかに過ごしたい。 
It's understandable that most of us would like to spend the rest of our lives peacefully in a familliar environment.

お年寄りの素朴な願いをかなえるため、市原美穂(いちはら・みほ)さんは9年前に宮崎市で「かあさんの家」を開設した。
 
家族だけで介護を続けるのが難しい人、福祉施設で受け入れてもらえない人など認知症や末期がんのお年寄りが暮らすホームホスピスだ。


Miho Ichihara opened a hospice in the city of Miyazaki in the Kyushu region nine years ago.
 
Called "Kaasan no Ie" (mother's home), the hospice accommodates elderly people suffering from dementia or terminal cancer, including those who have been turned away by welfare facilities or whose care is beyond their family's capacity.



普通の民家を改装し、家具はそのままにして家庭的な雰囲気を大事にする。
The private house-turned facility has a homely atmosphere with its original furniture in place.

5人のお年寄りを計5人のスタッフが昼夜交代で支えている
Five staff members take care of five  in a combination of night and day shifts.


狭い病室で胃にチューブを通して栄養をとっていた人は、「かあさんの家」にやって来ると自分でチューブを取り外し口からご飯を食べるようになった。
 
One patient who used to be fed through a gastrostomy tube in a small hospital room removed the tube and started to eat by herself after coming to Kaasan no Ie.

暴れて看護師をたたいていた認知症の人は、別人のように優しい顔になった。
Another patient with dementia(認知症・ディメンシア) who used to run wild and beat nurses calmed down and acted like a completely different person after spending time at Kaasan no Ie.
 
 
***
必要なのは医療ではなかったのか
 
Medical care, apparently, wasn't the sole remedy for these patients.

「かあさんの家」を訪ねると、認知症の女性が座って食事をしていた。
 
しゃがみ込んだ市原さんが顔を近づける。

穏やかな微笑が返ってきた。

When I visted Kaasan no Ie,  I saw Ms. Ichihara crouched down and leaned over a woman with dementia, who was having a meal, and she returned a gentle smile. 



台所からは包丁の音が聞こえ、夕餉(ゆうげ)のにおいがする。
The sounds and smell of someone preparing for dinner with a knife drifted in from the kitchen,
 
隣室でせき払いが聞こえる。Someone could be heard clearing their throat in the room next door.
 
どこにでもある暮らしだ
 
Life at the facility seemed normal.

***
昔は多くの人が住み慣れた自宅で死を迎えていたが、今は約8割が病院で亡くなる。
At one time, many people passed away in their homes.
 
Today, about 80 percent of people die at hospitals.
 
 
死は医療現場で管理され、看取(みと)りの文化が暮らしから消えた。
Human deaths are handled by medical institutions, and the culture of attending someone's deathbed has disappeared from most people's lives.

だが、「かあさんの家」には各地からの見学者が絶えず、ホームホスピスは九州と関西で計10カ所に増えた

However, there is an endless stream of visitors to Kaasan no Ie,
and the number of such hospices in the Kyushu and Kansai regions has increased to 10.

孫が吹くクラリネットに送られて逝った人がいる。
One elderly patient at Kaasan no Ie passed away while the patient's grandchild was playing the clarinet by their side.

家族に代わって介護はするが、最期は家族で迎えてほしいと市原さんは言う。安心して悔いなく看取れるよう、家族の気持ちに寄り添う。

Such hospices serve the role of accommodating family members so that they can attend their loved ones' deathbeds at ease, without regret.
Even though Kaasan no Ie provide care for patients on behalf of their family members,  Ichihara hopes family members can be by the patients' sides in their final hours. 
 
 

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