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地域新聞

 
栗山の「地域新聞」と町史 
2016年(平成28)9月・栗山町史編さん室−
 
― も く じ ―
 
―地域新聞の資料的評価とそこから見える町史の課題―
1.栗山町史の「地域新聞」記録(2p
2.栗山町史での「地域新聞」記載内容(3p
3.地域新聞の位置づけと資料的価値(6p
4.現存する栗山の地域新聞資料(7p
5.地域新聞の資(史)料的な評価と活用、改めてそこから垣間見える町史の課題(10p
栗山町の地域新聞と町史
―地域新聞の資料的評価とそこから見える自治体史の課題―

栗山町史編さん推進員 青木隆夫

1.栗山町史の「地域新聞」記録
今春、栗山で昭和55年(1980)から刊行され続けた『南空知新報』が休刊となった。36年余の長きにわたる途切れることのない発行は、ある意味でその間の地域情報のストックであり、大変惜しまれるところでもある。過去には空知地域の各市町で数多く刊行されていた地域新聞も、情報伝達と受容の時代変化とともに姿を消しつつある。
今、新しい栗山町史の編さんにあたって、その地域史資料の一つして、専門家筋にはあまり注目されることのなかった「地域新聞」にスポットをあて、改めてその資(史)料的な価値内容と活用に向けての、新たな評価などを加えてみたい。
ここで言う地域新聞の位置づけとしては、「全国紙」や 「ブロック紙」、 「地方紙」 、「自治体広報紙」、「企業紙(社内報)」や「フリー・ペーパー」とは趣を異にする、 一定地域(地区)でのみ、戦前・戦後に刊行されている(された)、 地域(地区)に特化した情報を伝達した新聞。 過去の町史などでは「地元新聞」、「郷土新聞」、「町内紙」などと記述しているが、意味合いや内容はここで記す地域新聞と同一のものである。
過去、栗山町内では情報統制が緩和された戦後以降に、各種の地域新聞が刊行され、変遷しているが、残念なことに、現存するその地域新聞資料と明確な記録類などは栗山にはあまり残されていない。
 
(1)栗山の地域新聞(「町史」記録+現存確認分)
『北海道時事』 昭和8年(1933   ○ 『道南タイムス』 昭和10年(1935)前後
『北海道農業新聞』 昭和13年(1938
『旬刊ゆうばり』 昭和21年(1946

『社会新報』刊行年等不詳

『むらのしんぶん』 昭和21年(1945
『栗山新聞』(第1期) 昭和23年(1948521日〜24220日(21号)
『空知新聞』 昭和24年(1950226日〜
『栗山新聞』(第2期)
『大空知』 昭和24年(1949410
『栗山タイムス』 昭和37年(1962)  
『南空知タイムス』 昭和34年(1959
『北海中央』 昭和2627195152)年頃   ○ 「南空知新報」 昭和55年(1980
「道央ジャーナル」 昭和61年(1986   
 
栗山での地域新聞の刊行については、『栗山町史』が唯一、 記録としてその内容について触れている。1971年(昭和46)『栗山町史(80年史)』 と、1989年(平成元)『栗山町史(百年史)(第一巻)』、1991年(平成3)『栗山町史(百年史)第二巻』、それぞれの「町史」に記載される地域新聞の内容を、下記に再掲し改めて眺めてみた。 「地域新聞」という小さなテーマに限定されるものではあるが、従来の『町史』などの自治体史が、専ら資料としての私文書や公文書などの行政記録のみを重視する嫌いがあり、また、その内容を検証せぬままに重ねて(孫引く)記述されることが多くあることの、欠陥と弊害を指摘する際の好材料でもある。 新しい町史を構築する際に、資料を発掘しないまま、また原資料を改めて見ない(確認しない)まま書かれることによって、自治体史としての内容の裾野を広げ(膨らませ)、深められない弊害を、ささやかな警鐘として今に語りかけるものでもあり、このテーマを検証材料としてみたい。
(2)地域新聞を取り上げた『栗山町史』の箇所
①「栗山の新聞」1367p  『栗山町史』(1971年)第22 41.「新聞」
②「地元新聞の発刊」841p 『栗山町史 第一巻』(1989年)第3 67.「報道の進化」
③「相次ぐ地元新聞」515p  『栗山町史 第二巻』第1 103.「変貌した新聞事情」
④「地元新聞の消長」997p  『栗山町史 第二巻』第2 97.「情報化社会と新聞」
 それぞれの編・章のタイトルは「生活文化」(報道・刊行)、「昭和時代前期」(明から暗の住民文化)、「昭和時代中期」(通信・報道の転変)、「昭和時代後期」(通信報道の成熟)となっている。
 
2.栗山町史での「地域新聞」記載内容
 1940年(昭和15)の 『角田村史』 には 「地域新聞」 関連の記述はなく、戦後に刊行された『栗山町史』から「地域新聞」の記述を抽出した。尚、本文が横書きで記載されるため漢数字を算用数字としている。
 
(1)「栗山の新聞」  『栗山町史』(1971年) 「生活文化編」 第22章第4節1.「新聞」
 栗山町内で新聞が発行されたのは、昭和に入ってからだった。その以前は大正年間岩見沢で発行されていたタプロイド判の『魁』(小馬谷寿)、『空知民報』(小山政義)が本村に投込みで入っていたが、その数はわずかなものであった。昭和の初期には由仁の但野万吉が、『南空知』新聞を発刊、広告料をとって村内に配布していた。
 
・『角田公報』  町内新聞発行以前にあった定期刊行物には、『角田公報』があった。大正14年(1925)の大正天皇御大婚
25年奉祝記念事業として、村況を住民に知らせるため毎月1回発行されたが、それがいつまで続いたか記録は残っていない。戦後復活したのは昭和22610日であった。24年に栗山町公報と改称して、過ぎる27年(19523月からは月2回発行となって、新しい法令規則の改廃、町内のできごと、時の話題などつねに編集に意を注ぎ行政の浸透につとめている。
 
・『道南タイムス』  昭和10年前後栗山を中心に地域の、商工通信を主体とする新聞発行が起り、友成実(栗山2区)が『道南タイムス』として発刊した。この新聞は坂東村長時代には将兵の慰問や時局宣伝に利用された。
 
・『北海道時事』  昭和8年(193310月、栗山5区の山崎一郎は、社会教育と自治意識の高揚をはかるため、タプロイド判の『北海道時事』新聞を発刊した。これは町内紙のはじめといわれている。1面は社説、2面村政、村会報告から道政にまで及ぶものであった。しかし当時は資材や出版の制約のきびしい折柄、3ヶ年間刊行して廃止された。
 
・『北海道農業新聞』  昭和13年(19382月喜多幸章(栗山南区)は、農業問題を中心として旬刊新聞を発刊した。この新聞も戦時下の統制により昭和1612月廃刊した。
 
・『旬刊ゆうばり』  終戦後間もない昭和21年(19461月に、喜多幸章は『社会新報』を数号刊行したが、その後昭和23年には『村の新聞』を刊行していた。それも時代の進運にともない、昭和321月より『旬刊ゆうばり』と改め、地域を拡大して発行した。
この新聞は地道に発展して、現在町内では発行号数の多い方の新聞となっている。
 
・『栗山新聞』  戦後昭和25年に松山明が『栗山新聞』を発刊した。この新聞は休刊のときもあったが、昭和30年に松山が『愛信新聞』を編集するため岩見沢に転出するまで続き、廃刊となった。その頃昭和23年以来農民同盟通信の編集員をしていた永末実(日出)は、委員長の井実章夫らのすすめもあって、新聞発行に踏み切り、題名を『栗山新聞』として昭和3112月に発刊した。永末は中央での日本農業経済新聞や、大日本水産界の記者生活の経験を生かして好調に刊行していたが、昭和354月発刊数110号をもって不幸に病に斃れてから、同志森良弘がこれを継承した。しかし森も職務の都合思わしくなく昭和376月廃刊の止むなきに至った。
 
・『大空知』  町制施行の昭和24年(19494月に、10人の同人、発行人友成実となって『大空知』の発刊をみた。この新聞は旬刊で発行されていたが、1年余で城宝が編集担当したり、昭和2829年頃は扇谷が主幹となって活躍していた事もあった。昭和34年(195912月城宝は再度編集の責任をもってこれに当り、376月彼が独立してからは3ヶ月ほどこれを引継いで発行していたが、その後友成実に発行人を戻し、長男光男を編集人として新たに号数を起して刊行していた。昭和436月友成実が急逝してから以降、現在光男がこれを継いでいる。
 
・『栗山タイムス』  さきに『大空知』を一時発行していた城宝鉄雄が、昭和37年(1962925日から栗山タイムスと改題して発刊したものである。その号数はさきに編集していた『大空知』の号数を引継いで刊行しているため、現在500号を越え、町内紙では最も号数を多い新聞である。
 
・『南空知タイムス』  昭和34年(1959)に扇谷和夫は南空知タイムスを刊行したが、これは3号をもって主幹扇谷の死亡で休刊となっている。
 
・『北海中央』  昭和2627年頃、栗山3区で印刷所を経営していた喜多次男に、富田、宮崎らが加わって発刊したが、この新聞は永続きせず間もなく休刊した。
 
(2)「地元新聞の発刊」  『栗山町史 第一巻』(1989年)第3章第67.「報道の進化」
角田村に地元紙といえる新聞が顔を見せたのは、昭和年代初期に由仁の但野萬吉が、「南空知」と題する新聞を発刊し、広告料をとって角田村内にも配布したのが、最初とされている。そして、その後、純地元紙(発行所が角田村内)の刊行がみられるようになるが、こうした気運には、次のような動機がはたらいていたのである。
(1)前項で記した時代風潮から、ローカル情報提供の有為性が高まったこと。
(2)商工業者の間に宣伝広告の必要性が芽生え、新聞発行の絶対的条件である広告料収入の目途が栗山でついたこと。
(3)前項で記した二大紙およびラジオが普及しても、その報道や情報が地元紙と競合するおそれがないこと。
次に角田村で誕生した地元紙の概要を綴るが、そのいずれもがやがてくる戦争という時局に直面して、雄図空しく中絶してしまった。

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