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何かおかしい記念事業
開基百三十年の長沼町
本年は長沼町の開基百三十年の記念すべき年に当たります。全町挙げてお祝いをすると共に先人のご労苦に対し心からの感謝すべき年でもあります。
明治二十年五月、岩手県出身の吉川鉄之助翁が家族五人で入植したのは東一線北一八番地(後に東四線北一八番地に移住)で開墾に着手したものであります。
当時の馬追原野は鬱蒼(うっそう)とした原始の自然の儘(まま)の姿で、深い山林や沼で覆われて人を寄せ付けない未開の大地でした。
それから百三十年、多くの先人の血のにじむような努力と、この地を切り開き稲や畑作物をつくるという目標に向かって頑張った結果、今日の長沼町があり、町民が安心して暮らせる平和なふるさとが出来たのであります。
しかし、この記念すべき開基百三十年に当たって、ほとんどの町民が理解できない不思議な事が行われようとしております。
その一つは、開基百三十年の記念すべき全ての事業で「開基」をはずして「長沼町百三十年記念事業」として実施しようおしております。こんなおかしな事、バカな事はありません。
長沼町の歴史を否定するもので、本当に許せない暴挙です。なぜ「開基」使わないのか、詳細な理由は定かではありません。
吉川鉄之助翁が入植した明治二十年より早くアイヌの人達が生活をしていたので「開基」に当たらない。事実かどうか分かりませんが道庁サイドから先住民を重視する観点から「開基」を使わないよう—通達があったとの話もあるようです。
もちろん、アイヌの人達が暮らし、和人よりも先に生活した歴史を全く否定するつもりはありません。
しかし、本町の未開の大地を開拓し、今日の見事な美田としたのは、本州各地からあふれる情熱と固い信念のもとで、今日のような機械もない時代に人力と鋤(すき)と鍬(くわ)、そして馬力で開墾した先人の努力の結果にほかなりません。それを否定するような「開基」を削る事があってはなりません。
過去の記念式典をみてみると
㈰昭和四十三年九月十二日 中央小体育館 開基八十周年記念式典 中川清町長
㈪昭和五十二年九月十二日 中央小体育館 開基九十年記念式典 中川清町長
㈫昭和六十三年九月十二日 スポーツセンター 開基百年記念式典 村山敏文町長
㈬平成十九年九月十二日 スポーツセンター 開基百二十年記念式典 板谷利雄町長
すべて「開基」のもとに記念式典を挙行しております。この「開基」を削るという事は三代の町長の実績や考え方を否定するものと言わざるを得ません。ましてや町議会議員の中には過去の記念式典に出席している方も多くいるはずです。自分たちが行ってきた事も否定するのですか、全くおかしな話です。
昨年、道内で後志管内の京極町や上川管内の音威子腐町は「開基」を付けて記念式典実施しています。
そに二は、「吉川鉄之助物語」をお隣の北広島市で公演するという。
百三十年に当たって姉妹都市の奥州市で上演された「吉川鉄之助物語」を本町に招聘(しょうへい)して町民の観劇に供するという事業は、本当に意義のある事とは考えますが、その公演の場所が問題です。北広島市芸術文化ホールというのす。全く理解できません。
「吉川鉄之助翁」と北広島市とは全く関係ありません。北広島市で公演をする理由は、町内に適当な施設がない、また町内でやれば照明や音響に多額の軽費がかかる—との理由のようです。長沼町を離れてお隣の北広島市で公演することを喜ぶ町民がいるとは考えられません。
開拓当時の困難を思うとき、身の丈に合ったわが町の施設を利用するのが当然と考えます。町民の皆さまは、いかがお考えでしょうか、地下に眠る吉川鉄之助翁を北広島市での公演では喜ぶはずがありません。むしろ嘆くことになるでしょう。
まだ時間は残されております。町長、議会とも頭を冷やし再検討し、将来に向かって子や孫に自信を守って引き継ぐ事が出来る町づくりのために再考を願わすにはいられません。
※長沼町民からの投稿がありました。内容が本当であるとすれば、理事者や議会 は町民の目線で再検討する事を望みたい。町民の心情を無視したような決定を 悲しく思います。 南空知新報社
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