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懐旧変わりゆく街73
 
アノロ・ウエンベツ原野の入植 〔その11
栗山町開拓記念館広報第48号の「開拓功労の人たち 渡邊大助氏」特集の中で貸付を受けた土地は、今の栗山市街より12(1.3㌔㍍)岩見沢に8(31㌔㍍)、今のハサンベツ林道(桜丘森林道)のところである−とある。
また、移住者成績調査にある『同地方に於ける水田開発の嚆矢(こうし)なり』とあるように水田作りに必要な水確保の為(ため)の溜池(ためいけ)2面の後が今もハサンベツの奥で見ることができる。このことから現在の栗山町における水田作りの発祥は、ハサンベツの地と言える。渡邊大助氏は貸下げを受けた土地の開墾(かいこん)に専念する傍(かたわ)らいろいろな事柄(ことがら)にも手がけた。
前号でも触れたように入植地は、空知郡ウエンベツ原野のハサンベツなので、いろいろな手続きするにも市来知(現三笠市)にあった空知郡役所や栗沢村戸長役場設置までは、岩見沢戸長役場に行くためにも道路を作らねばならなかった。北海道庁の方針により空知集治監で服役中の囚人を道路作りにつかせ、明治23(1890)年工事が始まり、工事現場で囚人を収容する飯場1号棟が清真布(現栗沢市街地)、2号棟は渡邊大助氏の地先(J℞栗丘トンネル付近)、3号棟は角田(現角田小学校の敷地の向かい側)3個所に設けられた。
各棟とも5060人の囚人と看守や飯場で賄(まかな)いをする人など多くの人が道路完成まで滞在し、それぞれの地にいろいろな商いをする人が店を構えた。道路作りの土方(どかた)をする囚人は、赤い作業服、赤い股引(またひき)、赤足袋(あかたび)、赤帽子など赤一色で統一され、逃亡しても目立つようにしていた。
時々道路工事のそばを歩く男の人に「たばこ」をせがみ自分が持っている赤足袋(あかたび)と交換していた囚人もいて、囚人が履(は)いていた赤足袋は、何枚も重ねて縫ったとても丈夫な足袋で開拓民にとっても重宝なものだった。また、夕張炭鉱や幌内炭鉱の石炭を港のある室蘭に輸送するため北海道炭鉱鉄道会社を起業者に、岩見沢―室蘭間の鉄道敷設工事を明治241891)年に始まった。栗丘トンネル工事には、クッタリ(現岩見沢市栗丘)とハサンベツ(現栗山町桜丘4丁目付近)に労務者の飯場や資材置き場、そして飲食店や雑貨店、宿屋などができ両地区に市街地が形成され、渡邊大助氏もこの大工事にいろいろかかわっていた。
明治25(1892)年、入植者の子ども達のために現在の桜丘74番地(現在の火薬庫入り口)の富岡長三郎氏の一部屋を借りて8〜9人の児童の教育を開始した。教師は、辻某という人で旧栗沢村やの栗山地区の「教育発祥の地」ともいえる。

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