|
新嘗祭と勤労感謝の日
11月23日は勤労感謝の日。この日は太陽暦が採用された1873年(明治6)に新嘗祭を祝う祭日となり、1948年施行の国民祝日法で勤労感謝の日とされた。新嘗祭とは天皇陛下がその年の新穀を神前に供えて五穀豊穣に感謝する飛鳥時代に始まったと伝えられている重要な祭祀です。宮中で厳かに行われ、献上米は全国各地から選ばれた農家が栽培します。
新嘗祭は収穫された新米を神にささあげて感謝を表す秋祭りとして、宮中だけでなく全国各地で行われます。新嘗祭の「嘗」という字を分解すると「尚」と「旨」のくみあわせとなる。尚は舌の上にのせる。味見をする。うまい。五穀豊穣を神に感謝する。この行事は、宮中だけでなく、各地の神社でも行われました。各地の神社の代表として、特別に献納する米を春先に宮中から農家が指定され、田植え、草取り、穂抜き、収穫と一農家の仕事ではなく、村全体の仕事ととらえて、村役人がそろって田仕事を見守りました。
角田村には、それを伝える一枚の写真が残っています。共和地区の青年団の田んぼの穂抜きの写真です。穂抜きとは、収穫直前の田んぼの稲がどのくらいの収量があるかを調べる作業です。昭和13年9月20日のことです。
谷田製菓の「大嘗飴」
谷田製菓は、世相の変化を見極めて売り出す商品名をきめている。「大嘗飴」もその一つである。明治天皇が亡くなられて、宮中の喪が明けるのが3年、大正4年11月10日京都 御所で大正天皇の即位礼を挙行。
即位の礼の一つに新嘗祭の儀式がある。
共和青年団穂抜き 昭和13年9月20日
大正天皇の即位を記念して大正4年「大甞飴」が発売された。
国民が慕う「明治天皇」のお墓は、京都伏見になり、東京は関連のものが残らなくなった。何か記念になるものを残そうと大正4年5月1日明治神宮造営局管制公布。明治天皇を祀る神社を中核にして、全国 都道府県から代表する樹木を献木してもらい、計画的に植樹をして、荒地を百年後に理想的な森とする計画であった。
また、その作業は全国の青年団、少年団に期待した。その外側には、文化、教育施設を設ける。「先憂後楽」の四字熟語から「後楽園」が誕生する。明治神宮の造営、1923年(大正12)関東大震災、帝都復興で東京へ人・物の大きな流れが世相にあらわれた。大正12年「日本一のきぎだんご」が発売された。
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用



