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変わりゆく街75

変わりゆく街 75
栗沢村だったウエンベツ原野
アノロ・ウエンベツ原野の入植 その1
明治39(1906)年4月まで栗沢村に所属してウエンベツ原野には、すでに述べたように渡邊大助の農場のほかに鳩山農場や湯池農場そして北海道大学前身である札幌農学校の農地としてウエンベツ学田農場地があり、栗山町史にも詳しく述べられている。しかし、明治20年代に入植した稲葉助右衛門が所有する農場について記述は見当たらなかった。
今回、北海道図書館所蔵で明治34(1901)年に発行された北海道庁殖民部拓殖課が編集した「北海道殖民状況報文 石狩国」という調査報告資料の栗沢村の項があった。この資料をまとめた河野常吉は、文久2(1862)年に信濃国東築摩郡島内村(現在の長野県松本市)で生まれ、その後いろいろな仕事を経て明治27(1894)年北海道庁の嘱託となって北海道拓殖事業などを調査し、明治20年代の開拓情況をまとめた歴史上貴重な資料である。その報文に出てくる近隣の村「栗沢村・角田村・由仁村・長沼村・登川村」など様子がくわしく掲載されている。
その「栗沢村」の沿革の1行目に「明治20(1887)年茨城県人渡辺大助は宇ウエンベツに居をとしえ土地の貸付を得て開墾に着手す是当村移住の嚆矢(はしり)なり次数戸の和人来り住す…」また 同報文の191㌻に「字ウエンベツには単独小農数十戸あり明治25(1892)年富山県人稲葉助右衛門此地に移着して開墾に従事し爾来(じらい)相次いて移住せる者にして其住民は富山県人最も多し助右衛門は6万余坪(約20町歩―約20㌶)の貸付と別に合計12万坪(40町歩―約40㌶)を有し現在7戸の小作あり…」と記載されている。
ウエンベツ原野に早い時期開墾のため入植した単独中農場主であったが、あまり歴史の光が当たらないまま今日にいたっている。今回、稲葉助右衛門の孫に当たる稲葉幡男氏が保存されている貴重な資料をもとに稲葉助右衛門の足跡をたどって見たい。
稲葉助右衛門は、慶応元(1865)年1月12日富山県東礪波(となみ)郡種田村で生まれ、当村の小学校から上級学校に進学し勉学に励んだ。志高20歳になった時、明治維新後に発展した東京に出て小学校初等科教員免許状を明治18(1885)年1月17日東京府庁より授与される。2年間、東京府内の小学校で教鞭(きょうべん)をとった。その後22歳になった稲葉助右衛門は、明治20(1887)年3月16日神奈川県横浜区より明治20(1887)年3月16日〜25(1892)年3月15日の5ヵ年間、小学校授業生たる免許を授与され横浜区内の小学校で教鞭をとった。

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