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変わりゆく街77

変わりゆく街 77
アノロ・ウエンベツ原野の入植 その15
稲葉助右衛門、貸下げを受けた12万坪(40町歩=40㌶)の土地に7戸の小作人を入れ、開墾し農作物が実るよう努めた。当時の貸下げ記録によると貸下げを受けてから一定期間内に成墾しなければならないとの約束があり、その期間内に成墾出来たことを北海道庁に報告し検定を受け安価で農場主に払い下げることになっていた。
その期間内に成墾出来るよう農場主は、小作人を激励しながら開墾に自らも汗を流した。教育者出身の稲葉助右衛門は、小作人の子どもの教育にも気配りし、現在の元雨煙別小学校のところに仮小屋を作り真宗興正寺派の僧侶穴吹某を教師に読書習字の指導をお願いし、この地の教育の発祥となった。
明治31(1898)年稲葉助右衛や中井理三郎、三好利三郎らを中心に学校開校に向けて校地敷地の確保のため栗沢村や空知支庁などに働きかけ現在地の1町6反4畝(約1.63㌶)の国有地を無償で貸与された。栗沢村に学務委員が設置された明治32(1899)稲葉助右衛門は、学務委員として空知支庁から任命され旧栗沢村雨煙別地区が旧角田村に編入するまで再選された。
また、渡邊大助の栗沢村総代退任後の明治34(1901)年11月に総代に当選、栗沢村発展や小学校教育の充実に貢献した。雨煙別小学校校舎の建築費や栗沢村里道路の建設費用の一部にと貴重な浄財を寄付し北海道長官から感謝状が贈られ、今もその賞状が保存されている。
生活基礎である農業振興にも努力され亜麻(あま)栽培を奨励しその功績が認められ明治38(1905)年3月に北海道製麻株式会社から感謝状と木杯が贈られている。栗沢村役場に行くにも便利が悪く渡邊大助や旧角田村の泉麟太郎と協力して明治391906)年待望の旧角田村に編入し角田村役場から雨煙別地区のまとめ役として角田村第15部長を任命され、この地域の発展に尽力を尽くした。
越中富山の出身である稲葉助右衛門は、浄土真宗の信者でもあり心の安らぎを与える場所にと自ら境内に1反歩(300坪=10)を寄進し明治32(1899)年真宗大谷派の説教所設置にこぎつけた。その後も定住する僧侶の派遣を同派札幌別院に要請しながら本堂建立に向けて尽力した。
大正2(1913)年北海道を襲った大冷害で北海道凶作救済委員に選任され同時に旧角田村の凶作救済評議員となり救済活動に尽力した。また 雨煙別地区の青年活動の育成にも力を入れたが、家庭の都合で大正9(1920)年10月地域の人々に惜しまれながら石川県金沢市山崎町に移住した。旧角田村村会議員や地域の活動の指導者としての功績に対し数々の感謝状が授与された。その後再び雨煙別に戻り昭和16(1941)年76歳でこの世を去った。

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