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歴史散見-きびだんご

   見 
栗山町史編さん委員
卜部 信臣
日本一の谷田のきびだんご誕生の背景
14月第二土・日 栗山町は「くりやま老舗祭り」で時ならぬ多勢の人の行   列ができる。
2 谷田の「日本一のびだんご」など甘党派、小林酒造の「北の錦」辛党派の年以上の老舗の商品の販売である。工場見学、試食、試飲などで人気を倍加させている。
3 「日本一のきびだんご」谷田可思三は、1898(明治31)年、13歳の時両親らと共に淡路島から栗山町に入植した。以来、菓子製造だけでなく、行政、スポーツ、文化の多方面で活躍した。
 谷田清次郎――谷田光郎――谷田博――谷田弘明
 谷田斉七 ――谷田可思三――谷田涼一――谷田進太郎
        谷田勝
4 明治の末、日本の国は超債務国であった。しかし、第一次世界大戦が始まって、事情は一変した。
5 その経済上層気流にのって「大嘗飴」の販売である。売れ行きは好調であった。「大嘗飴」には、弱点があった。夏場の高温時には販売ができなかった。谷田可思三は通年を通して販売できるもの、健康によいもの、品質が低下しないもの、たんなるお菓子ではなく、腹持ちするもの、手ごろな価格なものの条件を考えて全国の菓子展覧会を見て周り、「日本一のきびだんご」を考案した。
6 「角田のもち米」は、角田村としても売り出していたので、大事な原料の
 一つ。
7 もう一つは北見の名産「トラ豆」。石北線が峠をこえて、北見盆地まで延びると道央の商業圏と結びつく。「トラ豆」を取り扱うのは「ナシオ」雑穀商。お菓子問屋として成功して、現在は、全国ネットで流通産業として活躍している。
8 水垣宏三郎 エム・シーシー食品社長 栗山小学校60周年記念事業で「水垣文庫」寄贈。父母の土地を小林米三郎が30万円で購入。その代金を文庫設置資金とする。
9 缶詰製作をして、海軍に納入。「日本一のきびだんご」も軍隊携行食品と     なる。
10 「谷田の日本一きびだんご」工場は、1940年には兵庫県、陸軍へ納入貯め1942年には中国天津を建設。樺太造材業者への納入ための樺太販路拡大。
11 1960年代 スナック菓子などにおされて苦境に立つ。
12 1990年代になってレトロブームで復調。
13 谷田凉一は、栗山町議会議長をはじめ多方面で活躍し、長男の進太郎は現在の社長。敷地内に可思三の銅像の台座に「汝、小利口たるなかれ、大なる馬鹿となれ」と記されている。作業を大事にし、作業に魂をいれる社風が会社を支えている。
14 谷田勝の活動もスポーツ・文化にわたって栗山の発展に貢献している。    1900年ごろ、栗山小学校卒業の同級生に水垣卯三郎がいる。海軍に缶詰を納入し、その助力もあって「谷田の日本一きびだんご」が軍事携行食品となったと推測している。
15「わが師わが道」水垣卯三郎著1985年に詳しく記述されている。MCC  FOOD

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