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変わりゆく街78
栗山町郷土史研究員 中嶋了之
由仁町の移り変わり
夕張川と橋〔その1〕
平成17(2005)年9月23日、夕張川に架かる由仁と栗山を結ぶ6番目の『栗由橋』が開通し、国道234号線を経由して由仁行くより栗山中央通りから中里・共和・三日月そして新しい橋を渡り由仁へ行くのに5分間短縮でき近くなった。
20年近く過ごした古川地域を自転車で走り由仁側新道の左側にかなり大きな沼が有るのを見て驚いた。近所の人に聞いて見たら、昔夕張川が蛇行(だこう)していて水害防止のため川の改修で曲がりくねった部分が沼として残り改修前まで旧角田村三日月の部分が由仁村になり今も当時の地権者が耕作しているそうだ。
夕張川の氾濫(はんらん)を最小限にとどめるための治水工事のため、大正9(1920)年北海道庁は夕張川の用地を買収して蛇行していた部分の改修工事をしたとの記録が新栗山町史に掲載されている。村界になっている夕張川にいくつの橋が架かっているか調べてみたら由仁・栗山・長沼の3町には、JRの鉄橋を含め9個所に橋が架かっている。
橋が架かる前までは、船による渡船場であり、その場所前後に橋が架けられている。長沼と旧角田村雨煙別とを結ぶ栗山渡船場がありその場所は、小林酒造のレンガ倉庫から北側200㍍下にあり栗山町の史跡として史標が立てられてある。
鉄道の室蘭本線が開通した明治25(1892)年以降長沼にも移住者が多くなり栗山停車場を利用して岩見沢方面や由仁方面に行くため何時(いつ)でも渡れる橋を作る機運が高まった。
旧角田村総代杉武一郎と長沼村総代清水健蔵らが率先して北海道庁に橋架設を要望し僅(わず)かな予算で明治34(1901)年馬追橋が竣工(しゅんこう)し夕張川に架かる橋の1号になった。
その時の記録によるとその橋の渡り初めに小林酒造店(現在の小林酒造株式会社)の店主をはじめ3代夫婦だったそうだ。大雨が降るたびに夕張川は荒れ狂い折角(せっかく)作った橋も大小様々な被害に会い補修しながら使っていたが、明治45(1912)の氾濫で遂(つい)に橋の機能を失い暫(しばら)くの間、橋は架けられずその代わりに村営の渡船場が開設された。
その後北海道庁は、本格的な橋作りに乗り出して大正12(1923)年9月現在小林酒造の倉庫と邸宅の間を通る馬追橋が完成した。
その当時の橋桁(はしげた)が平成12〜3年頃まで川の中に立っていて両町の繁栄の様子を見つめていたが、その後の大水で倒れてしまい歴史の証を失ったのは残念である。
由仁村と旧角田村をつなぐ渡し舟の渡船場は、現在の角田神社西側にあり三日月と由仁の古川を結ぶラインだった。この渡船場は、アイヌのテッピリア(夕張鉄五郎、由仁では下夕張鉄五郎と言われていた)の丸木船で多くの人々が未開のアノロ原野に渡った。
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