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わつぃの夢 9

私 の 夢(9
栗山町史編さん推進委員
阿部 敏夫
   犬に関する物語2
 毎朝、私の家の前を犬と散歩している人達がいます。改めて犬の種類や衣装に驚かされています。中学時代に新聞配達をしていて、犬に追いかけられた経験がある私には、ある種のトラウマがあります。アイヌ民話を紹介しましょう。
 
犬は むかし口がきけた
 おおむかし 犬は ほうそう神のめしつかいで 人間の国に何かできごとがあるとすぐしらせていた。あの悪いおそろしいほうそうをはやらせる神に何でも つげ口をするのが犬だとわかったので とうとう はいをくわされてしまい その時から口がきけなくなったのです。そうして 今でも犬が声をたててあくびをするとおそろしがって口の中に入れてやります。
 また、次のようなことも言われています。
 オキクルミが天国をぬけ出して人間の国へ来る時に
「下界には さかなやけものがたくさんいても 穀物はないだろう。」
と心配して 天上に育ったヒエの種を一つかみぬすみとり だれにも知られないようにと 自分のすねの肉をさいてその中にかくしてきた。たれかに見つかっては大変なので 大急ぎで天国の門を出ようとすると 戸口にいた犬が大声で、
「やあ たいへんだ。オキクルミがヒエのたねをぬすんで すねの肉の中に入れてにげ出すところだ。」
とさわぎたてた。オキクルミは はらをたてて
「うるさいやつだ。」
と言うと はいをつかんで口へ投げ入れて
「これからお前はものが言えないぞ。下界におりてもシカでも追いかける手伝いでもするがいい。」
としかった。その時から口がきけなくなった犬は ただワンワンとほえるだけで アイヌ達の狩のお供をして手伝いようになった。
 またアイヌが今でもヒエを犬にやらないのも こうした話があるからです。
(児童図書研究会編『北海道のむかし話』みやま書房、1956) 
 
時田昌瑞『岩波ことわざ辞典』には、「飼い犬に手を嚙まれる」(日頃目にかけ面倒をみてやっていた人や部下に思いかけず裏切られ、害を加えられることのたとえ。主人が忠実そのものの飼い犬から逆に危害を加えられるとしたら、忠誠心の強い犬の性質から見て、相当なことと言えよう。)「飢えた犬は棒を恐れず」「犬も歩けば棒に当る」「犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ」「犬が西向きゃ尾は東」等などと言い伝えられています。 栗山町史編さん推進員 阿部敏夫
 毎朝、私の家の前を犬と散歩している人達がいます。改めて犬の種類や衣装に驚かされています。中学時代新聞配達をしていて、犬に追いかけられた経験がある私にはある種のトラウマがあります。アイヌ民話を紹介いたしましょう。

変わりゆく街74

変わりゆく街 74
アノロ・ウエンベツ原野の入植 その12
渡邊大助が、作った寺小屋式学校を維持するため各戸10銭出し合い翌明治26(1893)7月 教師に村田三次様を迎え本格的な教育内容である読書・算術・習字等教えていた。しかし 栗山駅が出来た明治26(1893)年以降市街地を形成していた旧ウエンベツ市街(現桜丘3丁目辺り)の人々が、栗山駅付近に移住したため、児童を集めての教育活動は出来なくなった。渡邊大助は、明治25(1892)年栗沢村戸役場が出来るとそのよく年の明治26(1893)11月から村内2名の総代の1人としてウエンベツ地区を代表して栗沢村総代に選出され栗沢村の発展に寄与した。空知郡栗沢村の総代でありながら、ウエンベツ原野のハサンベツ入植者子弟教育に、明治27(1894)5月 旧角田村の杉武一郎等と協力して栗山567番地の山本竹蔵の空納屋を借り、当時栗山駅長の弟だった笹森太郎を教師に授業が開始された。その学校を維持していくために児童20数人の家庭から一戸当たり粟1斗5升(19kg)を出して貰い必要経費に当て、このことから当時粟屋学校と呼ばれていた。その後も渡邊大助は、旧角田村の泉麟太郎と連携しながら郡界・村界変更の陳情を行い明治39(1906)4月、クッタリの分水嶺により南側のウエンベツ原野が旧角田村に編入され。名実共に旧角田村の栗山地区方面の発展にも大いに貢献した。現在錦2丁目室蘭本線沿いに居住されている渡邊大助の子孫渡邊満様のお話によると「…渡邊大助は現在の自動車学校のあたりに住んでいた(現在もその建物の一部が有り小松様が居住している)とおばあさんから聞かされ、その後 現在地に移転して住宅を建て、今から156年前までそこに住んでいた。何年頃からか分からないが錦一帯は小林酒造の屋敷と工場用地そして農地と杉武一郎と渡邊大助の農場地であったと聞かされている」と話された。いつ頃錦2丁目のこの地に移住したか分からないが、大正5(1916)51172歳で亡くなられた渡邊大助の葬儀では、多くの方々がお参りされていた様子の写真があったと子孫の渡邊満様が語られていた。今も広い屋敷に当時を偲ばせるイチイの木四、五本あり樹齢100年以上の歴史の重みを感じた。空知集人監看手を辞職した42歳で空知郡ウエンベツ原野ハサンベツに入植開墾に尽力した。栗沢村発足と同時に総代となり栗沢村の発展に力を入れながら、ウエンベツ川を隔てた旧角田村の発展に貢献し、郡村界の変更が明治39(1906)4月おこなわれ名実共に旧角田村々民となって10年後村民に惜しまれながら72歳の一生を終え台山墓地(湯地の願船寺境内東側)に埋葬され今も栗山町の発展を見続けている。                
つづく

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