過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

変わりゆく街76

変わりゆく街 76
                  栗山町郷土研究員 中嶋了之
アノロ・ウエンベツ原野の入植 その14
稲葉助右衛門は、明治20(1887)年4月から神奈川県横浜区にある小学校で教鞭をとり師弟教育に情熱を傾けた。さらに未開の北海道開拓の夢を持ち始めた明治23(1890)年12月小学校教員を退職し千葉県にある下総御料牧場牧下夫として働きながら農業のやり方を学ぶのだった。子孫である稲葉幡男氏によると「…祖父は明治24(1891)年26歳で旧札幌郡雁来村(札幌市東区)に入植したと聞いている…」と話された。
札幌市資料館で当時の雁来村の入村状況を調べたが、明治245年頃の記録はなく資料館相談員の話によると当時から雁来・丘珠一帯は豊平川などの氾濫(はんらん)で水害の被害が度々(たびたび)あり、入植した人達は定住せず水害のない土地を求めて移動していた。
旧栗沢町史(昭和39=1964年発行)によると「…明治25(1892)年3月の堅雪の時、岩見沢から工事中の室蘭線鉄道伝いにクッタリに出て、そこからトンネルの上を越え雨煙別に入り、雨煙別川沿いに上って踏査して上ポンウエンベツの地を選んで貸下げを出願した。翌26(1893)年5月、単身で入地した…」ある。
稲葉助右衛門は、実際に新天地である入植地予定地を自分の目で確かめて、ウエンベツ原野地の貸下げを北海道庁に申し出たが思うように許可されなかった。当時の土地貸下げは、開墾資金を多く持っている民間人や華族・士族・国や道庁の役人など有力な人達には、容易に貸下げの許可が下りた。稲葉助右衛門は、許可が下りるまで粘り強く何回となく北海道庁に足を運び、道庁の吏員もその熱意に動かされ「空知郡ウエンベツ原野入植地」の貸下げ許可をえた。その喜びは喩(たと)えようもない大きなものだった。
ウエンベツ原野入植地貸下げが決まった後、今まで開墾した土地など整理処分し家財道具などまとめ明治26(1893)年5月鬱蒼(うっそう)たる原始林に足を入れた時は28歳の青年だった。しかし 明治34(1901)年発行の『北海道殖民状況報文 石狩国編』の栗沢村の項では、「…明治25(1892)年、富山県人稲葉助右衛門此地に移着して開墾に従事し…」とあり先に掲載した旧栗沢町史の記述で入植年1年の違いがあることがわかった。
この地の南側のハンサンベツには既に渡邊大助が入植開墾して6年の歳月が流れ生活基盤も整い栗沢村が出来た明治25(1892)年以後、稲葉助右衛門は渡邊大助の助言を得ながらウエンベツ地域の発展にいろいろな足跡を残した。稲葉助右衛門の貸下げ受けた土地から東側旧ウエンベツ川(現ポンウエンベツ川)までの間に札幌農学校(現北海道大学)付属第五農場が設定された。現在雨煙別證継寺南側に稲葉助右衛門宅跡地がある。kawariyukumati

全1ページ

[1]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事