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栗山最初の墓地

栗山の歴史散見
栗山最初の墓地
湯地 願船寺 地蔵がつたえること
1     以前に住職に伺ったことがある。当寺の入り口に地蔵さんがあるけれど、あれは、私どものお寺のものではない。角田に向かう最初の道路工事で亡くなった方を村の有志の方が弔ったものである。
2     何度かの道路工事で、道路が高くなり、地蔵さんは低く沈んだように見えて、当寺が、いかにも粗末にしているように見えて具合がわるい。
3     地蔵台座には、
発起人 山下 ?? 村上 太作
世話人 吉田吉太郎 川崎 太郎
4     地蔵さんの横の碑には「有縁無縁萬魂塔」とある
5     どなたかが お花と果物をそなえてくれていた。
6     岩見沢〜夕張間の夕張道路完成は、1890(M23)であるから、この地蔵さんもそのころに建立されたと思われる。道路工事には囚人が使われたと記録にある。その人たちへの心遣いが読み取れる碑である。
7     そしてまた、100年以上経過しても 日々の営みとして、地蔵さんに花をあげ、供物を供える人がいる。人知れずの行為を続ける人がいる。
8     夕張道路は、ハサンベツの7曲半を出て現在の国道234を通って角田・継立から夕張に向かうルートである。
9     開拓地の道路は、山の端をめざすことが多いが。元上水道施設のあった山の端から角田への一直線は自然をよく観察しての道路敷設であった。これより西よりだとぬかるみが深くなるし、東よりだと高低差が大きくなる。
10  現在 大型トラックは、国道234を使うし、生活道路としては、天満宮・役場の道路を使い分けをする。
11   栗山の道路は、いろいろな表情をもっている。家と家との間の小路。「この悪ガキ!」竹の物差しをもって、追いかけられた小学校時代の苦い思い出。舗装になっていなくて砂煙の舞う国道。馬車が驚いて暴走する加工場付近の国道。そろばん道路を「美化作業」として日曜の朝7時少年団の作業。「カチカチ、マッチ一本 火事のもと、」と夜まわりしたこと。遠い昔のこと。

私の夢8

わたしの夢(8)
栗山町史編さん推進員
阿部 敏夫
 犬に関する物語1
写真家岩合光昭氏は、「猫といるとなんだか気持ちよく…猫が『五感のアンテナ』を研ぎ澄まして暮らす姿は、僕たち人間が忘れてしまっている感覚を呼び覚ましてくれる気がします。」、『ねこ手帳2018』(本体価格1200円)そして、樺木宏『幸せになりたければねこと暮らしなさい』自由国民社、又吉直樹氏は「おじさんは『にゃあ、にゃあ、にゃあ』と猫語で唄っていた。」などということばや書籍などをみるにつけても、人間と猫との関係を考えさせられます。猫の民話に深入りしそうですので、少し期間をおきたいと思います。
人間に飼育されている代表といえば、猫のほかに犬もいます。犬は、古代から犬飼部という職業集団があって家畜化していたようです。その犬飼いの長い歴史のなかで、人間は犬に対して、主人に忠実であり、忠誠を尽くす動物だという観念を育てました。これが主人の危機に際して一命を落としても主人を守る義犬話を広めて来たようです。
 そこで、十勝芽室太に伝わるアイヌ民話を紹介いたしましょう。犬は人間の感覚でわからないものを感知する能力をもっている動物であると考えられています。
 
  イヌ
 氷の上に何神かが辷(すべ)った/氷が一番偉い
 氷が偉いといっても太陽にとけるではないか/太陽が一番偉い
 太陽が偉いといっても雲にかくされてしまうではないか/雲が一番偉い
 雲が偉いといっても風に飛ばされてしまうではないか/風が一番偉い
 風が雲や土を飛ばすから偉いというが木が風を押さえるでは
ないか/木が一番偉い
 木が偉いというが人間が伐って火にくべるでないか/だから人間が一番偉い
 人間が偉いといっても半分死んでいるでないか/死神の方が偉い
 そういうが死神だって犬には見付けられる/だから犬が一番偉い
 
 『泉麟太郎翁喜寿祝記念詩歌集 真古登の泉全』の「はしかき」に「…星霜を閲するに随ひ、鶏犬唱和、人煙豊かなる模範村となるに至れり。」(3p)とあり、「鶏犬唱和」に(村の人家のたてこむこと)と同書の翻刻者は説明しています。「鶏と犬と人間」は、生活や文化が古来一体であることを言っているのだと思います。
 

馬づくり五十年

札幌が日本出版界をリード
その見本「馬づくり五十年」村上 政吉著
 
 札幌が日本の出版業界をリードした見本がある。『馬つくり五十』である。奥付には著者吉田十四雄、発行者 村上政吉、印刷者 角榮一、発行者 札幌講談社となっている。北海道の農地で「もくもくと働き続ける馬 日本釧路種を生み出すのに生涯をかけた神 八三郎」の物語である。畜耕手刈という北海道独特の農法を全国に発信した。昭和22年戦後の混乱の中で印刷インキ、用紙が確保できて、印刷体制があった富貴堂書店が
北海道の独自の文化を発信していた姿である。その中核となった村上政吉は、栗山小学校を卒業して、苦学して早稲田大学を卒業して、子供向けの読み物から農業専門者など幅広い印刷を札幌講談社で展開する。
村上政吉の消息を尋ねる
 村上政吉は 明治36112日生まれ。大正4年栗山小学校を卒業している。その後上京して書生など苦学して早稲田大学を卒業して講談社に入社。昭和202月から5月にかけての東京大空襲によって、東京の出版社は出版事業が出来なくなった。講談社は、いち早く、札幌の富貴堂に支社を出した。その時の責任者が村上政吉である。講談社に続いて創元社、筑摩社、霞ケ関書房、青磁社など11社が札幌進出して、200点前後の書籍を刊行した。雑誌は8種類が札幌発となった。昭和24年までは、札幌が出版の中心となった。村上政吉は、土地勘を活かして、地方で地道に研究・執筆をしている人を掘り起こして、出版事業を続けたので、北海道出版事業を通して、北海道文化の向上に果たした業績は大きい。しかし、地元栗山では村上政吉は知らていない。講談社退社後は、印刷業に携わったと記録にあるけれども具体的なことは不明です。どなたかご存知の方教えてください。
 村上政吉が出版関係を志したことについては、次のことが語られている。
 栗山小学校の時、巌谷 ( いわや )小波 ( さざなみ )が子どもたちに童話を話して聞かせるために来校した。巌谷小波は「富士山」という童謡の歌詞で有名である。「頭を雲の上にだし、四方をの山を見下ろして、雷様を下に聞く、富士は日本一の山」。巌谷小波を迎えるにあたって、児童代表が口演童話をしようと村上政吉がその代表に選ばれた。当日、政吉は、巌谷小波の前で熱演した。終了後巌谷小波は「わたしは、全国をまわっているが、こんな立派な童話をきいたのは、今日が初めてだ」と称えたという。このことが上京の動機ではないかと語り継がれている。(栗山町史編さん推進委員 卜部信臣)
 
1     明治36112日生まれ
2     大正43月栗山尋常小学校卒
3     上京して書生となり、苦学して早稲田大学卒
4     講談社に入社。
5     戦後 札幌富貴堂に講談社の出張所が設置されるとそこの責任者として勤務
 
懐旧変わりゆく街73
 
アノロ・ウエンベツ原野の入植 〔その11
栗山町開拓記念館広報第48号の「開拓功労の人たち 渡邊大助氏」特集の中で貸付を受けた土地は、今の栗山市街より12(1.3㌔㍍)岩見沢に8(31㌔㍍)、今のハサンベツ林道(桜丘森林道)のところである−とある。
また、移住者成績調査にある『同地方に於ける水田開発の嚆矢(こうし)なり』とあるように水田作りに必要な水確保の為(ため)の溜池(ためいけ)2面の後が今もハサンベツの奥で見ることができる。このことから現在の栗山町における水田作りの発祥は、ハサンベツの地と言える。渡邊大助氏は貸下げを受けた土地の開墾(かいこん)に専念する傍(かたわ)らいろいろな事柄(ことがら)にも手がけた。
前号でも触れたように入植地は、空知郡ウエンベツ原野のハサンベツなので、いろいろな手続きするにも市来知(現三笠市)にあった空知郡役所や栗沢村戸長役場設置までは、岩見沢戸長役場に行くためにも道路を作らねばならなかった。北海道庁の方針により空知集治監で服役中の囚人を道路作りにつかせ、明治23(1890)年工事が始まり、工事現場で囚人を収容する飯場1号棟が清真布(現栗沢市街地)、2号棟は渡邊大助氏の地先(J℞栗丘トンネル付近)、3号棟は角田(現角田小学校の敷地の向かい側)3個所に設けられた。
各棟とも5060人の囚人と看守や飯場で賄(まかな)いをする人など多くの人が道路完成まで滞在し、それぞれの地にいろいろな商いをする人が店を構えた。道路作りの土方(どかた)をする囚人は、赤い作業服、赤い股引(またひき)、赤足袋(あかたび)、赤帽子など赤一色で統一され、逃亡しても目立つようにしていた。
時々道路工事のそばを歩く男の人に「たばこ」をせがみ自分が持っている赤足袋(あかたび)と交換していた囚人もいて、囚人が履(は)いていた赤足袋は、何枚も重ねて縫ったとても丈夫な足袋で開拓民にとっても重宝なものだった。また、夕張炭鉱や幌内炭鉱の石炭を港のある室蘭に輸送するため北海道炭鉱鉄道会社を起業者に、岩見沢―室蘭間の鉄道敷設工事を明治241891)年に始まった。栗丘トンネル工事には、クッタリ(現岩見沢市栗丘)とハサンベツ(現栗山町桜丘4丁目付近)に労務者の飯場や資材置き場、そして飲食店や雑貨店、宿屋などができ両地区に市街地が形成され、渡邊大助氏もこの大工事にいろいろかかわっていた。
明治25(1892)年、入植者の子ども達のために現在の桜丘74番地(現在の火薬庫入り口)の富岡長三郎氏の一部屋を借りて8〜9人の児童の教育を開始した。教師は、辻某という人で旧栗沢村やの栗山地区の「教育発祥の地」ともいえる。

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