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こんにちは、ゲストさん
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副町長、2月末で退職
栗山町の町長選挙
後援会2月18日に発足
【栗山】4月3日に告示、8日に投票の栗山町長選挙は、立候補予定の佐々木学副町長(55)は、業務的に特別なことがない限り2月末までには退職する意向を固めた。
後援会は2月18日に正式に発足させる準備を進めている。今のところ佐々木副町長以外の立候補の動きはなく、無投票で初当選の公算が強くなった。
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栗山町の町長選挙
告示 4月3日
投票 4月8日
【栗山】栗山町選挙管理委員会(村上哲委員長)は、4月11日で任期満了に伴う栗山町の町長選挙は告示4月3日、投票4月8日の日程を決めた。
今のところ佐々木学副町長(55)の立候補は確実とみられているが、対立候補の名前は出ていないので無投票で初当選となる公算が強い。
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変わりゆく街 77
アノロ・ウエンベツ原野の入植 その15
稲葉助右衛門、貸下げを受けた12万坪(40町歩=40㌶)の土地に7戸の小作人を入れ、開墾し農作物が実るよう努めた。当時の貸下げ記録によると貸下げを受けてから一定期間内に成墾しなければならないとの約束があり、その期間内に成墾出来たことを北海道庁に報告し検定を受け安価で農場主に払い下げることになっていた。
その期間内に成墾出来るよう農場主は、小作人を激励しながら開墾に自らも汗を流した。教育者出身の稲葉助右衛門は、小作人の子どもの教育にも気配りし、現在の元雨煙別小学校のところに仮小屋を作り真宗興正寺派の僧侶穴吹某を教師に読書習字の指導をお願いし、この地の教育の発祥となった。
明治31(1898)年稲葉助右衛や中井理三郎、三好利三郎らを中心に学校開校に向けて校地敷地の確保のため栗沢村や空知支庁などに働きかけ現在地の1町6反4畝(約1.63㌶)の国有地を無償で貸与された。栗沢村に学務委員が設置された明治32(1899)稲葉助右衛門は、学務委員として空知支庁から任命され旧栗沢村雨煙別地区が旧角田村に編入するまで再選された。
また、渡邊大助の栗沢村総代退任後の明治34(1901)年11月に総代に当選、栗沢村発展や小学校教育の充実に貢献した。雨煙別小学校校舎の建築費や栗沢村里道路の建設費用の一部にと貴重な浄財を寄付し北海道長官から感謝状が贈られ、今もその賞状が保存されている。
生活基礎である農業振興にも努力され亜麻(あま)栽培を奨励しその功績が認められ明治38(1905)年3月に北海道製麻株式会社から感謝状と木杯が贈られている。栗沢村役場に行くにも便利が悪く渡邊大助や旧角田村の泉麟太郎と協力して明治39(1906)年待望の旧角田村に編入し角田村役場から雨煙別地区のまとめ役として角田村第15部長を任命され、この地域の発展に尽力を尽くした。
越中富山の出身である稲葉助右衛門は、浄土真宗の信者でもあり心の安らぎを与える場所にと自ら境内に1反歩(300坪=10㌃)を寄進し明治32(1899)年真宗大谷派の説教所設置にこぎつけた。その後も定住する僧侶の派遣を同派札幌別院に要請しながら本堂建立に向けて尽力した。
大正2(1913)年北海道を襲った大冷害で北海道凶作救済委員に選任され同時に旧角田村の凶作救済評議員となり救済活動に尽力した。また 雨煙別地区の青年活動の育成にも力を入れたが、家庭の都合で大正9(1920)年10月地域の人々に惜しまれながら石川県金沢市山崎町に移住した。旧角田村村会議員や地域の活動の指導者としての功績に対し数々の感謝状が授与された。その後再び雨煙別に戻り昭和16(1941)年76歳でこの世を去った。
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佐々木学副町長の独走か
4月11日の栗山町長選挙
【栗山】椿原紀昭栗山町長は4月11日で3期目の任期を満了する。後継者として佐々木学副町長(55)を指名⁈した。
いま新年度予算の編成作業が大詰め、一段落する来月には退職して、町長選立候補への準備に入るという。
椿原町長は昨年の12月定例議会で「今期で引退」を表明した。次期町長には佐々木副町長が立候補への準備を進めている。すでに後援会づくりに入っている。
近く、正式に立起表明するものとみられるが、いまのところ、佐々木副町長のほかの動きは全くなく、佐々木氏の独走とみられる。最近は選挙民の選ぶ権利が失われる無投票が多いのは何故だろう。気がかりだ。
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