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北の民話散歩(2)
わ た し と 猫
栗山町史編さん推進員
阿 部 敏 夫
今から 6 0 年前のことである。確か小学校3 3、4年生のことである。薪(まき)ストーブを真ん中にして家族と話しをしていた時である。当時、私の家で飼っていた「猫(ねこ)」が小さいネズミをくわえて来て私の前で放した。そのネズミは必死になって逃げた。そのようすを見ながら、逃げそうになるとまたくわえてまた元の場所に戻す。その動作を数回繰り返しながらネズミの体力が弱った時点で、自分の口にくわえてどこかに行ってしまった。
また、こんなこともあった。どこから紛(まぎ)れ込んだかわからないが「陰猫」が、私の家の屋根裏に棲(す)んだことがある。日中は屋根裏で過ごし、夜になり家族が寝静まったころ居間に出て来て歩き、すきっ腹を満たすという生活の猫である。気味が悪いので、日中、屋根裏から必死に逃げ回る猫を外に追い出したことがある。
動物好きだった父は、犬やカナリヤ(人参汁を飲ませて羽色を鮮やかにして売る)、鶏(卵は蛋白源)、山羊(乳しぼり)、兎(アンゴラなど)、カラス(人懐こく、家を出るときなど鳴き声あげる)、豚(町内から残飯をもらい、年末になると懇意にしている肉屋さんに大きくなった豚、子豚も売る)などを家族のものに世話をさせていた。そのような父であったから、猫も三毛猫や白猫、黒猫なども私の成長期には飼われていた。
2月22日は「猫の日」。1987年、愛猫家などの委員会がペットフード協会と協力して制定したという。「猫と一緒に暮らせる幸せに感謝し、猫とともにこの喜びをかみしめる記念日」であるという。昨今は「『猫ブーム』である。テレビのペット番組では主役を張ることが多い。書店には写真集やエッセ―集などの新刊が並ぶ。映画やCMも製作され、経済効果は2兆円にも上るとされる。『ネコノミクス』なる造語もあるほどだ。
行きすぎた管理もあって閉塞感(へいそくかん)が覆う世の中だ。飼い主に従順な犬よりも自由気ままな感じの猫に目が行くのも、そうした世相の反映か。日当たりのいい縁側で背を丸めて気持ち良さそうにしている姿を見るだけでも癒される。(後略)」(北海道新聞「卓上四季」2017.2.27)
私は、小学校時代の「猫」体験や人を見て行動する丸々と太った猫動作を散見すると不気味であり、ある種の恐れさえ感じるのである。『動物と人間の文化誌』『猫の辞典』『私たちのくらしと動物たち』などの刊行物を見るにつけても、そのトラウマからなかなか抜け出せない自分を発見する。ここまで思いを巡らすと110年前に書かれた夏目漱石の『吾輩は猫である』をまた読みたくなるのである。風刺と皮肉などを通しての漱石の明治末年頃の日本の文明批評(時代受容、個人主義、人間観…)が気にかかる。「猫と生まれて人の世に住む事もはや2年越しになる」吾輩猫を「甕 ( かめ )」から助け出して、平成の御代に蘇らせたいと自己のトラウマを見つめつつ思う。
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