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元山地区はひとつの町でした。
元山、大谷地の社宅(長屋)街をはじめ多くの商店、郵便局などの施設がありました。 小学校もそのひとつで明治39年に開校されております。 昭和41年に小坂小学校に併合されました。 写真は5月に撮ったものです。後ろに満開の「大島桜」がみえますね。かつてここは元山小学校の校庭で、校庭に植えられた桜です。酸性土壌に強い樹種に詳しい人がいたんですね。「公害」などという言葉が無い時代に「このオオシマザクラは煙害に強い(かもしれない)」と思い植えた人がいたんですね。 歌詞はその年代により微妙に違うみたいです。小坂小学校の分校の時代があったりしたせいだと思われます。 碑文には ああ 重畳の山 尽きざる鉱床 鉱山(ヤマ)は我等の ふるさと 伸びよ若竹 陽に映えて 鉱山(ヤマ)の子等我等 誠の子等 光れしろがね 磨け心を 小坂元山 我等が学び舎 見よや 燦たる我等が学び舎 碑文の書は和田幸雄先生。和田幸雄先生は今年3月23日82歳でお亡くなりになりました。 元山小は昭和41年に廃校となり、この碑は45年に建てられたようです。 居住地区としての元山地区もこの頃廃止され、工場地帯となりました。 |
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そうなんですか。オオシマザクラは、酸性土壌に強いんですか。と言う前に、見るのが初めてです。山桜の仲間ですか。
2007/7/7(土) 午前 7:14 [ harper3777 ]
ハーパーさん、おばんです。諸説あるようですが、オオシマザクラとエドヒガンの交配種がソメイヨシノと言われております。ソメイヨシノが日本中に植栽できたのは、オオシマザクラの強さがあったからでは、と言われております。こう云う事を明治、大正の頃に知ってた人、鉱山技術者でしょうか、いたと云うところに興味をもっているのです。
2007/7/7(土) 午後 11:09
時代の流れとは言え、地域から学校が消えていくことは、思い出に砂を被せられ埋められてしまうようで、寂しいものですね。学校は地域の人間の安らぎの場でもあると思います。
2008/5/15(木) 午後 8:13
タケさん、コメントありがとうございます。私の高校の同級生でこの元山地区の昔の写真をたくさん持っているのがいて、いつか借りたいなと思っているんですがね。その頃の元山というのは、ほんとに草木の無い「はげ山」に囲まれた鉱山社宅街でして、独特の風景でした。
それらの写真があれば、もっと書きたいことがあるんですがね。
和田先生は、亡くなる数ヶ月前でしたか、昔の元山の話を聞く機会がありまして、今思えばもっといろいろ聞いておくべきだったと悔やまれます。
2008/5/15(木) 午後 10:33