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家族の者が一度は見たいというもので
行ってきました
「花輪ばやし」
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とりあえずのUPです。
「修正」で記事を入れていきます。
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↓祭りの一番の見どころ屋台が勢揃いする「駅前行事」を待つ間のイベント
「鹿角ふるさと太鼓」の演奏です。
今の日本でこれだけ多くの盆太鼓が集まるところは無いそうです。
およそ、100台?
↓小坂町鴇(ときと)部落の盆太鼓も参加しています。
↓9時近くになったでしょうか?いよいよ、「花輪ばやし」の屋台の登場です。
「旭町」の屋台から登場です。賑やかな囃子ですね。
↓わかりますかね〜?「腰抜け屋台」といいまして、太鼓奏者の足元の床が無いのです。歩きながらの演奏になりますので、若い人が中心になります。酔っ払いだと危険です。
↓この屋台は新しい型で床が張ってありますね。だから、こんな美人でも太鼓演奏ができます。
勇壮な囃子を聴いて、祭り好きな方は「もしかして〜?」・・・・と思った方がいるかもしれません。
そうなんです。昔はこの屋台を「山車ぶっつけ」をしていた時代もあったのです。
狭い道で屋台どうしがはちあわせした時、「渉外」という係りの若いものが、道を譲ってもらうよう交渉しますがこの交渉が決裂しますと・・・・・なんと・・・・屋台どうしをぶっつけたんだそうです。
荒々しい祭りだったんですよね。
昭和40年代に入り、徐々にそのような事は無くなり
観光イベントとしても整えられたものとなりました。
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どうも、最近でもぶっつけることがあるようですね。
この屋台一台1000万以上(今なら2000万?)するんだって。
角館の屋台は初めから「ぶっつける為の構造」になってますけどね。
これは、そうじゃないからな〜。
もっと、詳しく「花輪ばやし」の事を知りたいと思った方はYou Tubeで「秋田 花輪ばやし」と検索してみて下さい。ドッサリ出てきます。 |
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雨が降った後に涼しくなる・・・・・
この夏は、なかなかそんな雨上がりは無かったんですが
ついに
来ましたね〜。
クーラーなし
窓締め切りで
なんと
この室温
比内鶏のジャンボ焼き鳥で
ビールもうまい!
今年最高気温の日を記録した地域の皆さん
申しわけありません。
秋は、もうすぐです。
たぶん?
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いッやー。能代商・・・惜しかったですね。
保坂投手の笑顔のインタビュー・・・・よかったですね。
キャプテンのライト・4番山田君・・・・・おじいちゃん、おばちゃんが親代わりだったんだよね。・・・・いい親孝行ができたね。
ほんとに普通に・・・・普通の公立高校野球部のチームでした。
あれだけ優勝候補を苦しめたいい試合をしたのだから
去年の地獄からここまで這い上がったのだから
胸をはって、秋田、能代に帰ってきなさい。
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16日、夜は大館市で「大文字まつり」でした。
花火ですが・・・・・ぶれてますね。
しらふ・・・・だからです。
↓送り火の大文字です。
雨が降り続いてあったのですが
よく燃えていますね。関係者は大変だったと思いますよ。
夏も終わりかな。
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「大文字まつり」の花火・送り火の画像がイマイチでしたので・・・・・
動画もやってみたんですが・・・・あまり良くなかったんですよね。
そこで
特別に
今年も、いきましょうか。
見事に
見せて・・・・くれましたね〜。
↓ひ孫ちゃんの「大文字」です。
去年に比べまして
足の「はらい」の具合に成長のあとが見えるな〜・・・・と思いますが。 |
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8月15日は、「山神社」のお祭りでした。
昔は、このお社を電球で飾り付けたものでした。
「山神社の電飾」といって近郷近在では有名なお祭りでした。
↑10時半より祭礼が行われます。(撮影時9時20分)
↓山神社より西方向です。中央の山は羽保屋山、手前に高地山が重なっているものと思われます。(自信がありませんが)
この後、祭礼の時は雨に見舞われたかも?
↓これは北方向。
↓これは南方向。小坂の町並みが見えます。
この日(15日夜)同期のKさんが小坂に建てた別荘で落成祝賀会を兼ねたミニ同期会を開きました。
久しぶりのおなじみの面々が集まったのですが・・・・
中には
「オメー誰だっけ?」と言われちゃった人がいたりして
これには大笑い。
わざわざ隣の市から駈け付けたのにね。
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「 かえり山」
合同運行が終わり、山車はそれぞれの地元、町内に帰ります。
七夕祭りは・・・・・終わりの時を迎えます。
2〜3ヶ月かけて製作した山車も最後の輝きを放ちます。
誰もが・・・・「今年の夏も終わりかな」・・・・と感じます。
↓これは「東町内会」のもどり山。山車小屋に入る寸前です。
かつて、東町内(東渡ノ羽住宅)は・・・9区まであったと思いますね。その各区が区ごとに七夕の山車を出していた時代もありました。昭和30年代ですね。七夕では各区が有力な町内でした。
今は社宅(長屋)は無く、30戸ほどの住宅地となりました。
お金の掛かる山車の運行は小さな自治会には大きな負担でもありました。
囃子も最後の力を振り絞ります。
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↓川通り町内会の山車が帰ってきました。
おッ!まだ元気が残っているみたい。
「ホォー!」の掛け声は今年の若いお母さん達が編み出した新しい技?ですね。元気があります。
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小坂の七夕は山車の部分では、青森「ねぶた」や弘前の「ねぷた」の原型を色濃く残しております。
小坂鉱山の最盛期、明治時代の後半多くの労働者が津軽地方から小坂に移り住みました。
山車の製作を担った人達は、この津軽の人達でしょう。
しかし
山車を引っ張ったり、お囃子の部分を担ったのは、秋田他の地域の人が多かったんでしょうね。
掛け声が津軽とは違うんですよ。
小坂は
「イヤサカサッサー、ホーイホイ」または
「ヤレヤレヤー、今年も豊年満作だー」・・・これは減反政策が進んだ昨今は少なくなりました。
ちなみに
弘前「ヤーヤードー」
青森「ラッセラー、ラッセラー」
五所川原「ヤッテマレー、ヤッテマレー」
ね〜。違うでしょう。
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お囃子は、まぁ〜〜、いろいろありましてね。
基本、小坂のお囃子の元は・・・・「ドンパン節」だと思いますね。私は。
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もっとも、古い形が「小坂七夕」に残った物として
「花もらい」というシステムがあるのですが
これは、別の記事で・・・・・・。
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