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空いているウィークデイにと思っておりましたが・・・・・
とても、今までは天気が悪く・・・
そんな気になれませんでしたね。
昨日(3日)今日(4日)は、
皆さん、待ち望んだ好天で
1,800人とか、1,700人の入場者があったみたいです。
40〜45分待ちの行列の末、ようやく入場できました。
山下清
テレビドラマの「裸の大将」で多くの方の脳裏に、そのイメージが植えつけられているんでしょうね。
しかし
チョットちがってたみたいですね。
まず、放浪の理由ですが・・・・
山下清自身は、仕事を見つけ
施設「八幡学園」をちゃんとしたカタチで出たいと思ってたみたいです。
そして兵隊になるのが、そうとう嫌だったようです。
母親は、区切りとして満21歳で徴兵検査を受けさせます。が・・・・
幸いに・・・・と言っては、なんですが
不合格。
”病気”(本人曰く)の放浪の旅に出ます。
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ドラマでは、その地でお世話になった御礼に”貼り絵”を残して去りますが
実際には
スケッチをもとに、記憶を頼りに
学園に戻ってから作品を作ったそうです。
大変な”記憶力”の持ち主でした。
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線路を歩いたのは本当ですね。
理由が書かれておりました。
こんな風に
「道を歩いてゆくと次の角を右にとか左に曲がれとかそんなことは言われてもわからない
線路ならまっすぐ行けば隣の駅に着く」・・・こんな風に日記に書かれています。
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「」の中の文に句読点がありませんね。
これについても
彼は
ちゃんと答えています。
「人がしゃべる時てんとかまるとかはしゃべらないかっこもしゃべらない」
なるほど
・
ちなみに
彼の文章はきちんとした文字で
漢字も旧字体を使い
間違いも無く
ハガキほどの大きさの手帳(旅の日記帳みたいなもの)にびっしりと
書かれております。
・
山下清展は、作品が年代別に展示されておりました。
初期の作品ほど
稚拙で、荒削りで、
一見下手な貼り絵に見えますが
なにか
惹きつけるものがあるのでしょうね。
多くの方が、足を止めて見入っておりました。
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山下清に思いも掛けない事が起こります。
昭和28年(31歳の時)にライフ誌の記者が来日し、彼を捜し始めます。
それを知った朝日新聞社が、記事にして彼を捜し始めます。
翌29年1月、彼は鹿児島で”発見”されます。
彼の幸せな放浪は・・・・終わりました。
↑展示されていた作品のなかで
私が特に気に入ったのが、この2点。
「長岡の花火」貼り絵、25年
「ぼけ」油彩、昭和26年
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いづれも29年以前の作品ですね。
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世間に騒がれるようになって
彼は
幸せだったろうか?
昭和46年7月12日永眠。
最後の言葉
「今年の花火見物はどこに行こうかな」
・
お近くで「山下清展」がありましたら
是非・・・・
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