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小坂町で新発売された本格ワイン、フルボデイ・辛口のワイン 「山葡萄と私」です。 なぜ?「山葡萄」なのでしょうか? 「私」というのは誰の事を意味しているのでしょうか? 山葡萄を食べたことがある人はもう日本では少ないでしょうね。 まあ、このブログにお出でになる人の場合は、半分ぐらいは食べた経験がおありでしょうが 日本全体で見たら10%とか15%になるのでは と推測されますね。 その前に この小坂町で葡萄ができるの? と驚いている方も多いでしょうね なぜなら、 小坂は煙害があったところで しかも、冷涼な気候で農業ではさしたる成果の上がらない ところとされていました。 しかし 鉱山が開発される以前は とても山の幸に恵まれた地であったのです。 私的にですが、菅江真澄の文章で興味を引いた部分があります。 残念ながら原文でなく、訳文なのですが 今でいう湖岸の鉛山から和井内、生出(おいで)に至るまでの紀行文なのですが 「二十九日(旧暦八月、今でいう九月下旬か十月上旬)降り続くこの頃の雨も,今日は晴れて空がたいそうきれいなので、鉱夫らの案内で駒ヶ嶺某と伴に大鞍の宿を出た。山に石膏があり、理石のたぐいであろうか。山橘(やぶこうじ)の実より赤い実が、紅葉した木々の梢にまじってみえた。(中略)あけびがたいそう多いので、蔓をたぐり、木の先を折り曲げ、枝をたわめて採って食っているうちに、雨が降ってきた。猿が岬(さるがはな)というところにかけ渡し、造ってある杣けど(杣小屋)というのに入って、雨宿りをしていると、木の実に群がって食う猿の声が、ここかしこで聞こえた。」 山葡萄は直接でてきませんが、猿の群れが現れたということは如何に山の幸が豊富であったかを物語っていますよね。私も以前サルナシの記事をこのブログでアップしたことがありましたが、あれはこの文章の地点に近い十和田湖大川岱のものでした。現在では、山の幸という点で十和田湖は別格ですが、二百年前は小坂周辺の山々も十和田湖とさほど豊かさには差がなかったでしょう。この菅江真澄の紀行を読んだ時、ある文節が思い起こされました。 『日本の太古は山葡萄で覆われていた・・・・・』 さて その後小坂町では、特に明治以降ですが、鉱山開発が進み、煙害と人口増加が山葡萄の乱獲に拍車がかかりました。山葡萄には試練の年月が続きました。 しかし、 今、山葡萄にまた陽の光があたり始めました。 小坂町で栽培を始めた山葡萄交配種の葡萄の出来具合が やはり良いのです。 この葡萄からは素晴らしいワインが出来ます。 この山葡萄交配種が『小公子』という品種なんですが この品種を開発した人が『澤登晴雄さん』です。 『山葡萄と私』のわたしです。 当初、このワインは『小公子』という葡萄品種名を冠したワインとして発売される予定でした。余談ですが、ペニーレーンは反対でしたね。ミデアムボディ以上で辛口のワインになると云うことは判っておりましたので、そこで『小○子』の2字がイメージに合わないと思っていたんですよね。しかし。葡萄品種『小公子』の栽培には葡萄農家や関係者が大分苦労されたようでして、思い入れも深かったんですね。『小公子』で行こうということになって、ラベルも決まっていたんですが・・・・・ 思いがけない事が起こりました。 藤本さんという方がこのワインのデザインをしてみようと云う話になり 『小公子』生みの親『澤登晴雄』さんの著書を読んでみたのですが なんてー人だ!とびっくりしたんでしょうね。 出来上がったワインラベルは 『山葡萄と私』でした。 この『私』について 多くの人に知ってもらわなければなりませんね。 では、パンフレットから ワイン用ブドウ品種開発の”父”澤登晴雄(1916〜2001) 澤登晴雄は山葡萄交配種『小公子』の生みの親です。 澤登晴雄は『ワインは、その国の気候風土の中から生まれた葡萄を使って、無理なく造られた物ほど美味しいし、健康にも良いのです。だから、日本の原生種の山葡萄の血を交配させたワイン用ブドウ品種が必要なのです。ワインは、その風土と文化を飲むものです。』と著書の中で述べています。 澤登晴雄は、大正5年(1916年)山梨県勝沼の近く牧丘町(現・山梨市牧丘町)に生まれました。その一生は波瀾に富んだものでした。 澤登家は《甲陽軍鑑》に出てくるほどの旧家、十一歳で戸主となります。その後小学校の教師、青年団々長として「日中戦争」の頃の村が疲弊してゆく姿を見つめることになります。そして東大教授・穂積五一が代表を務める「至軒寮」での青春・人との出会い。政治家に成りかけたこともありましたが、多くの紆余曲折を経て、なぜか戻った道には「葡萄」が待っていました。 葡萄の研究で世界に調査に出かけます。ソ連・タシケント、ヨーロッパの各国、カイバル峠を越えてアフガニスタン、葡萄の研究にしては随分と危険な旅もしました。たどり着いた結論は、高温多湿に耐える日本の山葡萄の特性を生かす交配の重要性。山葡萄の素晴らしさだったのです。 澤登晴雄さんはかつて『日本ワインバンク』の趣意書の冒頭にこのように書いたのです。 『日本の太古は山葡萄で覆われていた・・・・・』 『日本で美味しいワインを作るのなら、山葡萄の血は絶対に必要だということなんです。』澤登晴雄著《ワイン&山ブドウ源流考》 秋田県小坂町産山葡萄交配種『小公子』で造られたワイン『山葡萄と私』は、その特徴である濃厚な色彩と味わいの奥深さを持っているワインです。 コルク栓を開けた瞬間から、貴方の「山葡萄と私」の物語の始まりです。 とパンフレットにありましたが???
『東大教授・穂積五一が代表を務める「至軒寮」』って皆さん 多分、ご存じないでしょうね。 ここが、実は 面白いんです。 |
お酒やワイン
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清酒(できれば、秋田のお酒)をガラスの器にいれて
ラップをして冷凍庫に2時間も入れれば大丈夫でしょう。 シャーベット状になります。 ビールも飽きた。焼酎も飽きた。止めりゃー良いんだろうけど止められない。 というぐあいの時、ちょうど今頃ですかね。 最適です。 |
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ヤフー動画に投稿してたんだが、時間がかかんのよね。
それで、一杯ということで。 飛良泉山廃生酒氷結飲みました。 う〜ん、うめ〜よ。 どうでも、良くなっちゃた。 |
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おもしろかったんで、よろしかったら見てください。
NHK教育TV木曜日午後10時25分より「歴史に好奇心、酒なるほど物語、小泉武夫(東農大教授)」 日本酒はすごいという事がよく分かりますよ。 あと2回しかないけど、是非とも。 |
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小坂町のあすなろ園で植えているものです。
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