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みなさん、コメントありがとうございました。 おかげさま、いくつか謎が解けました。 クイズに出しておきながら、実は解らないこともあったんですよ。 まずは、↓このとうり鉄製、鋳物であることはお解りいただけるかと思います。 ↓このように蚊取り線香を入れて使うもの、「蚊遣器(かやりき)」なんですが ↑ご覧のように、蚊取り線香の大きさと合っておりませんね。 ↓使おうとすれば、この様に蚊取り線香を小さくして使わなければなりません。 蚊取り線香の大きさが、まだ一定じゃなかったんですね。 合成ピレスロイドが発明され、蚊取り線香が機械生産されるようになったのも この昭和30年頃なんですね。 ↓詳しく知りたい方は見て下さいね。 http://www.kincho.co.jp/factory/listen/listen03.html#3 ↑どうです。煙の出ている様はなかなか風情があるでしょう。 しかし、 蚊取り線香と合わない蚊遣器・・・売れないのは当たり前ですよね。 間抜けな話・・・・私もそう思ってました。・・・・トウワさんのコメントを見るまでは トウワさんのコメント「香炉では・・・」 目からウロコでしたね。 このコメントで気づかされた事は ひとつは技術の高い鋳物屋さん作った事は間違いないということですね。 香炉を作っているような鋳物屋さんであったら 屋根に瓢箪の模様をつけることなど、さほど難しい事では無かったでしょう。 技術をもった鋳物屋さんが「なぜ?」このような生活用品を創っていたのか。 それは多分、戦後10年ぐらいの頃の事ですから、まだ香炉を創っても売れたかどうか?ですよね。 じゃあ、とにかく、売れるものを創らなければということで・・・・じゃないですかね。 それならば、蚊取り線香の大きさが製造法の大変化で変わったことに気づかずに 蚊遣器を創ってしまったと云う事もあるかも知れません。 この後は明日、修正でいれます。
↓サザエさんのまんがです。珍しい!サザエさんが浴衣姿です。 ↓映画の広告「アパッチ」「チャタレイ婦人の恋人」「海底2万哩(マイル)」「ピクニック」「巴里祭」これでも夏枯れ状態かも。この後、旧盆の時期のほうにいわゆる”名作”が揃っていたかも ↓洗濯機17,500円 20、000円とありますが、たぶんローラー式の搾り機がついたものでしょう。 このほか「北軽井沢の土地 坪500円800円1000円」というのがありましたね。 ”朝鮮動乱”も終わり、少しは金持ちが生まれてきた時代かもしれません。 |
なんだべな〜?
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我が家では時々、とんでもない物が出現します。 暇なんで、片付けをしていたら出てまいりました。 なんだか、解かります? 一応、親父が東京より仕入れてきた物で”売り物”商品ですよ。 時代は・・昭和31年、32年といったところでしょう。 ↑奥のはなんと、未使用品 手前のは家で使用しましたね。 早く言えば、ほとんど売れなかったものです。 ↑鋳物製でしょうか。なかなか凝ったデザインです。 萱葺き屋根には瓢箪があって、金色が施されています。 ↑中はこんなふうになっています。 なんか、白い粉のようなものが残っていますね。これヒント。 ↓なぜ昭和31〜32年と特定できたのか? これを包んでいた【新聞紙】が決め手となりました。 ↓なんと!昭和31年の7月10日の朝日新聞東京版ですよ。 しかも、7月8日に投票があった第4回参議院選挙の記事が載っているものでした。 昭和31年と言えば、1956年・・・・・そうです。 55年体制になって初めての国政選挙だったのです。 自民党は惨敗、社会党は大幅に議席を獲得しました。 この時の自民党総裁は・・・・そうなんです。今、話題の人の御祖父様ですよ。 なんか・・・奇遇ですね〜ェ。 自民の敗因は「政策を忘れていること」ですって。・・・今と同じじゃないですか!!! 小さなコラムがありまして、この参院選の無効投票で多かったものというのがありまして 1位は【力道山】で理由は対議会暴力の為だって。その他は【三木武吉】【グレース・ケリー】【錦之助】【慎太郎】【天皇陛下】だって。いたんですね昔も。適当オトコが。 ↓その他は、いかにも戦後らしく【大川周明の元邸宅の庭先から拳銃47丁】
あの東京裁判で東條英機の頭をスリッパで叩いた人ですよ。 ↓牧野富太郎博士が重体であるという記事もあります。 牧野博士は翌年1月18日に亡くなっております。94歳でした。 朝永振一郎博士が教育大学長に選ばれ内諾したと云う記事がありますね。50歳で学長ですよ。 で9年後に・・・あ〜ァ偉い人ってのは違いますね。 その他、【サザエさん】のマンガ、広告欄なんかも面白かったですね。 テレビが17インチで92,000円。安いなんて言っちゃいけませんよ。この当時はまだ【白黒】しかも真空管式のテレビでした。大卒初任給の何か月ぶんでしょうね。今の貨幣価値でいえば百万円以上でしょうね。 映画なんて50円ですよ。 |
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我が家では時々、とんでもない物が出現します。 暇なんで、片付けをしていたら出てまいりました。 なんだか、解かります? 一応、親父が東京より仕入れてきた物で”売り物”商品ですよ。 時代は・・昭和31年、32年といったところでしょう。 [[attached(1,center)]] ↑奥のはなんと、未使用品 手前のは家で使用しましたね。 早く言えば、ほとんど売れなかったものです。 [[attached(2,center)]] ↑鋳物製でしょうか。なかなか凝ったデザインです。 萱葺き屋根には瓢箪があって、金色が施されています。 [[attached(3,center)]] ↑中はこんなふうになっています。 なんか、白い粉のようなものが残っていますね。これヒント。 ↓なぜ昭和31〜32年と特定できたのか? これを包んでいた【新聞紙】が決め手となりました。 [[attached(4,center)]] ↓なんと!昭和31年の7月10日の朝日新聞東京版ですよ。 しかも、7月8日に投票があった第4回参議院選挙の記事が載っているものでした。 昭和31年と言えば、1956年・・・・・そうです。 55年体制になって初めての国政選挙だったのです。 自民党は惨敗、社会党は大幅に議席を獲得しました。 この時の自民党総裁は・・・・そうなんです。今、話題の人のお父上様ですよ。 なんか・・・奇遇ですね〜ェ。 自民の敗因は「政策を忘れていること」ですって。・・・今と同じじゃないですか!!! [[attached(5,center)]] 小さなコラムがありまして、この参院選の無効投票で多かったものというのがありまして 1位は【力道山】で理由は対議会暴力の為だって。その他は【三木武吉】【グレース・ケリー】【錦之助】【慎太郎】【天皇陛下】だって。いたんですね昔も。適当オトコが。 ↓その他は、いかにも戦後らしく【大川周明の元邸宅の庭先から拳銃47丁】
あの東京裁判で東條英機の頭をスリッパで叩いた人ですよ。 [[attached(6,center)]] ↓牧野富太郎博士が重体であるという記事もあります。 牧野博士は翌年1月18日に亡くなっております。94歳でした。 朝永振一郎博士が教育大学長に選ばれ内諾したと云う記事がありますね。50歳で学長ですよ。 で9年後に・・・あ〜ァ偉い人ってのは違いますね。 [[attached(7,center)]] その他、【サザエさん】のマンガ、広告欄なんかも面白かったですね。 テレビが17インチで92,000円。安いなんて言っちゃいけませんよ。この当時はまだ【白黒】しかも真空管式のテレビでした。大卒初任給の何か月ぶんでしょうね。今の貨幣価値でいえば百万円以上でしょうね。 映画なんて50円ですよ。 |
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私等の世代には問題にもならない物なんですが・・・・・
初めて見たという人もいるでしょうね〜?? なんのボタンか? なんのためのボタンか? ? ヒント??今、私着用してます。 ! あッ!画像は床において撮りましたから ・ ・ 2〜3日、宿題としますか。 * * 実は、これでした。 ↑のこの部分↓ タケさん、正解です。 私の記憶では昭和30年代の前半まではボタンが主流であったような気がします。 中学以上の学生服はチャックでしたね。ファスナーと言う様なったのはいつ頃からかな〜? このズボン、義父の背広のものです。 義父は処分するつもりでしたが、義母が「小坂の婿なら着れるかも?」 と気が付いたおかげで焼却処分を免れました。 仕立て屋で誂えたものですから、それも新婚時代に義母が頑張って誂えたんでしょうね。 ↓大同毛織・ミリオンテックスは超高級品の時代だったと思います。 普段着として穿いておりますが・・・・・不便だろう?って いいえー!。不都合は無いですよ。 四ッつあるボタンが上下2個づつわかるように、縫い目があるんですよ。 だから、御用の時は下2個のボタンを外せば良いだけで 非常にスムーズですよ。 むしろ、今のズボンのファスナーの位置は上に(ちょっとですけどね)付いている感じで 使いづらいと思うことがよくありますよ。 意外と良いですよ。意識もファスナーよりありますので忘れる事もありません。 忘れたとしてもですよ。下2個のボタンだけですから、大丈夫ですよ。見えることも無いようです。 ボタンが見えないんですよ。 だから、大丈夫です。 ウールだから温かいですよ。今の時期、重宝しています。 |
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場所は大館市新沢地内の小坂線の踏切そばにあります。この右側には新沢の部落の墓地があります。昔は部落のはずれだったのですね。 車がひっきりなしに通るところなんですが どうです。なかなかインパクトのある神様でしょう。 菅江真澄の紀行文にものっていますが、その頃には白い着物(かたびら?)が着せられてありました。菅江真澄がここを訪れたのは、今から200年ほど前のことでした。 口にはご飯となにか?ニンジンのような赤い粒が混じったものが詰めてあります。そういえば・・土偶の口も丸く開いたようになってましたね。 腕がありませんが、以前はちゃんと付いていたようです。 ↓同じ新沢の小坂側にある道祖神です。地元では「どんじんさま」と呼ぶそうです。 裸に腰みののスタイル。腰みのは「ザンバラ」と呼ぶ地域もあるようですが、秋田で、この小正月の季節に行われる裸参りのスタイルと同じですね。 この記事は長くなりそうですので、追々修正で入れていきます。あしからず。 |





