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イメージ 1 戦後2人目の首相として連合国軍総司令部(GHQ)との憲法制定交渉に当たった幣原(しではら)喜重郎(1872〜1951年)が在任中、憲法9条への思い入れを託したとみられる漢詩の掛け軸を千葉県在住の歴史家、大越哲仁さん(57)が発見した。掛け軸は長年、所在不明になっていた。

 漢詩は、軍備よりもソフトパワーを重視する国防のあり方を詠み、「日本国憲法第九条注釈」と添え書きされている。大越さんは、戦争放棄と戦力不保持をうたった9条の意義を幣原が漢詩に投影したとみている。専門家によると、幣原が制定過程の憲法について当時、私的に記した史料は珍しいという。

 漢詩は唐代の詩人、汪遵(おうじゅん)の「長城」。「秦長城を築いて鉄牢(てつろう)に比す。蕃戎(ばんじゅう)敢(あ)えて臨※(りんとう)に逼(せま)らず。焉(いずく)んぞ知らん万里連雲の勢(いきおい)。及ばず尭階(ぎょうかい)三尺の高きに」と読み下せる。「鉄壁のような万里の長城も(古代中国の伝説の名君)尭帝(ぎょうてい)の質素な宮殿に及ばなかった」が大意だ。

 掛け軸は、幣原内閣の副書記官長(現在の内閣官房副長官に相当)を務め、後に参院議員となった木内四郎(1896〜1988年)に幣原から贈られたという。81年に幣原の長男が「週刊文春」誌上、木内宅にあると記して以降、所在が分からなくなっていたが、このほど木内の遺族宅で見つかった。

 幣原は46年1月、東京のGHQ本部でマッカーサー最高司令官と密談し、皇室護持と戦争放棄で合意したとされるが、詳細は不明。大越さんは近著「マッカーサーと幣原総理」(大学教育出版)で、幣原が後年、側近に語った記録やマッカーサーの証言から、幣原が密談の席上で9条を提案したと論じている。

 「週刊文春」への長男の寄稿によると、幣原が掛け軸を木内に贈ったとされるのは46年3月。GHQから示された憲法草案を受け、日本政府側で憲法草案をまとめていた時期に重なる。大越さんは「幣原は『軍備よりも君主の徳が安全保障の要』という趣旨の漢詩を記すことで、『9条は自らの発案だ』との自負を示したのだろう」と意図を推測する。

 掛け軸は既に公的機関に寄贈され、今年夏ごろに一般公開される見通し。【鈴木英生】

 ◇幣原の伝記を著したノンフィクション作家、塩田潮さん(72)の話

 幣原が9条について憲法制定過程で私的に記したものは他には見つかっていないはずだ。幣原は平和主義以上に天皇制存続に必死で、そのためには日本を警戒する国際社会に「戦争をしない国」を表明するしかないとマッカーサーと合意したのだと思う。掛け軸は「9条は皇室護持のためだ」とほのめかしたものとも解釈できる。

※はさんずいに「兆」

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