気ままにノンビリ徒然と…

明日を救うことのできる天使に、偶然なれるかもさ。

幕末バナシ

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イケメン副長♪

土方さん。

この人、相当なカッコよさです。

かなりのイケメンです。

女性の数もかなりのもんだったらしく、「モテちゃってモテちゃって、困っちゃうよ」と書いた、

友人への手紙も残ってます。

イヤミなやつ…(笑)



多摩で育ち、近藤勇の養父が営む、天然理心流道場の試衛館で、

沖田総司や原田佐之助、山南敬助、藤堂平助などと親交を深めた後、

文久3年、将軍・徳川家茂の上洛警護のための浪士隊に加わるため、

試衛館のメンバーと京へ向かいます。

しかし、その浪士隊の”将軍警護”という名目は偽りで、

真の目的は、”攘夷倒幕”だったのです。

「話が違ーう!」と怒った試衛館メンバーは、芹沢鴨らと幕府側に立った警備集団を作ります。

それが新撰組なんですねー。

新撰組の名を世間に広めたのが、元冶元年に起こった、かの有名な”池田屋騒動”。

圧倒的不利な人数で、長州勢をメッタメッタに討ち取ってしまいます。

これをキッカケに、新撰組の勢いはドンドン加速していきます。

でも、土方は池田屋ではそんなに活躍してないんですね。

そのとき、別働隊で「四国屋」というとこに行ってました。

OH NO!

そんなこんなを経つつ、新撰組は京で攘夷志士を次々に討っていき、

人々から恐れられる存在になって行きます。

その中で土方は”鬼の副長”と呼ばれ、厳しい局中法度で隊士の統制を図ります。

ちょっとでも違反すれば、切腹も当たり前のこと。

でも、それほど厳しくしなければ統制が取れないほど、

新撰組には暴れん坊の困ったちゃんが多かったみたいです。

それが土方さんの”新撰組に対する愛情”だったんでしょうねー。



おおっと、予想以上に長くなりそうなんで、続きは後ほど。

ヘルパーさんが来たんで、お風呂に入ってきまーす!

禁門の変

1864年(元冶元年)7月19日に、禁門の変(蛤御門の変)が起こりました。

前年に起こった、「八、一八の政変」で京都追放を余儀なくされた長州藩は、

元冶元年に入ると、天皇を擁し、長州の手で京都政局を再び掌握しようと画策し始めますが、

長州内でも久坂玄瑞、来島又兵衛らは積極派、桂小五郎、高杉晋作らは慎重派と、

藩論が二分していました。

しかし、6月5日に池田屋騒動が起こると、慎重派の思いとは裏腹に、

福原越後、益田右衛門介、国司信濃ら積極派の三家老は、”討薩賊会奸”を掲げて挙兵、上洛します。

その頃、朝廷内でも長州弾圧派と容認派があり、禁裏御守衛総督を務めていた一橋慶喜は、

長州に退兵を要求しますが、長州側はそれを受け入れず、

京都蛤御門付近で会津、桑名、薩摩隊と衝突が行われます。

この戦いで久坂玄瑞、入江九一、寺島忠三郎ら多くの藩士が戦死し、長州は壊滅状態に陥ります。

この後、「御所に発砲した」との罪で長州は朝敵とみなされ、

幕府は”第一次長州討伐”へと突入するワケです。

この頃の長州は、まさに踏んだり蹴ったりで、なんとも不幸な状況にありますね。

「八、一八の政変」で、すっかり薩摩と会津にしてやられ、

それまでの勢力は見る影もないほどに失墜してしまうし。

それにしても、やっぱり薩摩はずる賢いなぁー。

イイねー!

「丸くても ひとかどあれや 人心
 あまりまろきは ころびやすきぞ」


                バーイ坂本龍馬





この間は、晋作のお言葉について書きましたが、
今回は、いとしの龍馬サマです。




これもチョー有名な句ですよねー。
龍馬の言葉の中で、私がイチバン好きなものです。
現実主義の龍馬らしいなぁ…って思います。



人間いろーんな面があって、たとえどんな短所があったとしても、
「それでいいんだよ」って、龍馬が言ってくれてるような感じです。



解釈的には間違ってるかもしれないけど、
私は勝手にそう考えてます。



だって、この言葉に何回救われたことか…!
ダメダメな私には、うってつけでしょー♪

高杉晋作のコトバ

先日記事に書いた、「松陰と晋作の志ー捨て身の変革者ー」という本を、

やっとこさ読み終わりました。

やっぱ、一坂さんの本は読みやすいです。

晋作に対する愛情がフツフツと感じられて、読んでてとーっても温かい気持ちになっちゃいました。

今回この本を読んではじめて知ったんですが、

晋作の有名な辞世の句、

「おもしろき こともなき世を おもしろく」は、

本当は、「おもしろき こともなき世に おもしろく」だったんですねー。

細かいことを言うようですが、「を」と「に」では意味がぜんぜん違ってきますよね。

私はこの句は、「つまんない世の中だけど、絶対変えてやるぜ!」みたいな意味だと思ってたんですが、

「に」になっちゃうと、

「つまんない世の中だけど、いかに面白く生きれるか」という風になっちゃいます。

そう考えると、野村望東尼が付け足した、

「すみなすものは心なりけり」にも納得できます。

この意味は、「それは自分の心がけ次第だよ」ということ。

それともうひとつ。

これって、辞世の句じゃないっていう説があるということ。

数年前にはもうあったという話もあるそうで。

わたしゃ、てっきり死の直前の晋作が書き残したものだと思ってたんですが。

吉田松陰というヒト。

ふぁ〜…

暖かすぎて、ついつい睡魔に襲われてしまう…(p_-)

本を読んでいたら、なおさらですよ。

久しぶりに読みたくなって、ついこの間まで「ドラゴンボール」を読みふけっていた私ですが、

それも最後まで読破したので、今は幕末の本を読んでます。


『松陰と晋作の志 ― 捨て身の変革者』という本です。

まだまだ数十ページしか読めてないんですが、

談話形式で書かれていて、スッゴク分かりやすいので、

私みたいなおバカちゃんには、もってこいの1冊でございます(^o^)

私はやっぱり、松陰先生が大好きですねー。

まあ、幕末で好きな人といやー、きりがないほど居るんですが、

松陰先生は、私の中でちょっと別格ですね。

あんなに純粋無垢で真面目な人は、そうそういないでしょ!

同士と旅行に行くのに、予定の日までに手続きが間に合わなかったから脱藩しちゃったり、

ペリーさんに、「アメリカへ連れて行ってほしい!」と密航のお願いしたけど、

断られたので、その足ですぐ自首しちゃうとか。

真面目すぎるよぉー!松陰先生…

自分の考えとか周りへの配慮とかを最も重視する人だったみたいだし、

本来の意志を曲げることが、どうしても許せなかったんでしょうね。

実家で謹慎中に開いた「松下村塾」という私塾からは、

(正確に言うと伯父さんから継いだもので、松陰先生は3代目みたいです。)

桂小五郎、高杉晋作、久坂玄瑞、入江九一、品川弥二郎などなど、

志半ばで倒れた人もいれば、明治政府で重要なポストに就いた人など、

本当に多くの人物を輩出しています。

松陰先生自体、安政の大獄で再び捕らえられ、処刑されちゃうんですが、

弟子たちが松陰先生の考える未来を、現実のものにしてくれたので、

きっと喜んでいるでしょーね♪

私が松陰先生LOVEになったのは、『風雲児たち』という漫画を読んでからです。

この漫画は、本当にためになりますよー!

いつか、ブログにUPしようと思ってます。

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