平林寺は永和元年(1375)川越城主松平信綱の菩提寺で、350年前に現在の岩槻市から現在地の野火止に移された。 平林寺は松平家の領地の最南端に位置し、川越と江戸の中間点で、江戸参上の折りにも一服するのに丁度よい場所であるとの理由でこの地に移転されたとなっています。又、当時は由井正雪や振り袖火事があったりして、江戸に不安が広がっていた時期だったので、江戸の外れのこ地を安住の地のように考えて選んだ、ともいわれています。 本堂まで一直線に配置された総門、山門、仏殿、中門は県指定の有形文化財。 13万坪の敷地内には現在残り少なくなっている典型的な武蔵野の雑木林が天然記念物としてきれいに保存されています。 寺院周辺の雑木林は、武蔵野の面影を持つ雑木林として、1967年(昭和43年)に国の天然記念物に指定されました。 アクセスマップ
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2009年12月19日
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撮影 ; 2009/08/01 長野県東御市〜群馬県嬬恋村
「湯道の百体観音」 長野県東御市(とうみし)の新張地区から群馬県嬬恋村・旧鹿沢温泉に通じる道(現在の県道東部嬬恋線R94)は、湯治客が往来したことで「湯道」と呼ばれています。 この道沿いには百体の素朴な「町石」とよばれる石仏がたたずんでいますが、これは旅の安全を祈って刻まれた石仏で道しるべの役割を果たしていました。 「みはり」とよばれる東御市新張の一番観音像から、地蔵峠にある八十番観音像、鹿沢温泉の入口に立つ百番観音像まで、どれも独特な趣をもつ素朴な造りで、庶民信仰の名残を今日にとどめている。東御市(旧東部町)は昭和 42年に、嬬恋村は昭和 48年に町・村の文化財に指定された。 約12kmの山道「湯道」に、1町(約110m)ごとにまつられている観音様は江戸末期から明治初期の約10年間に建造されたものであるが、巡礼の道以外にこのような町石があるのはめずらしい。 真言系では聖観音(しょうかんのん)、十一面観音(じゅういちめんかんのん)、千手観音(せんじゅかんのん)、馬頭観音(ばとうかんのん / めづかんのん)、如意輪観音(にょいりんかんのん)、准胝観音(じゅんていかんのん)を六観音と称し、天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。六観音は六道輪廻(ろくどうりんね、あらゆる生命は6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする)の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもので、地獄道−聖観音、餓鬼道−千手観音、畜生道−馬頭観音、修羅道−十一面観音、人道−准胝観音、天道−如意輪観音という組み合わせになっている。 千手観音 【千手観音(せんじゅかんのん)】 梵名サハスラブジャ・アーリヤ・アヴァローキテーシュヴァラは、仏教における信仰対象である菩薩の一尊。「サハスラブジャ」とは文字通り「千の手」の意味である。この名はヒンドゥー教の女神ドゥルガーの異名でもあり、インドでヒンドゥー教の影響を受けて成立した観音菩薩の変化身(へんげしん)と考えられている。六観音の一尊でもある。 アクセスMap |
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