

大分県立博物館
神話の頃
古事記によると、伊邪那岐・伊邪那美・の二神が淤能碁呂島の天之御柱をまぐり、まぐわいして生んだ国々の「大八州国」伊予之二名島(四国)大倭豊秋津島(本州)など代表的な島々の中に筑紫の島がある。これが九州で、日本の古代史に欠くことのできない国であり、神話の国である。その数々の神話については種々の解明がなされていて、今日ではそれらの神話は天皇家が藤一国家を造る都合上、各地の神話(高天原系、出雲系、筑紫系など)伝承などを意識的に組み合わせ、支配者としての正統性を強調、もしくは確証ずけようとして作ったものであろうというのが通説となっている。
そこに出てくる高天原は実在の地名がもっていた「高い峰に降る」という、日の神の子孫の国土支配説と「稲穂を高く積みあげたところ」に日の御子が降るという、楠方農耕民族の信仰や説話が入りまじる抽象的な地点とされる。しかし日向の高千穂峰(曽褒里能邪麻)が実在の地でなかろうと、大和のあろうと、また遠くバビロンの地であったとして、九州が古代日本の形成にとっては欠くことのできない地で、そこにわれわれのの遠祖たちが住み、今日の日本文化の礎を営々と育てていたことには変わりない。日本文化の基礎である農耕・稲作文化は九州において最も古くから開けていたために、天孫降臨神話の基底には農耕民族の儀礼があり、その主軸は稲作生活をしていた人々の日常なのである。
九州はその地の利ゆえに、内陸アジアの高度な文化も、インド、東南アジアの海洋性文化も、古い古い時代から長い年月を経て九州にたどり着き育って行った。当然そこには種々の民族も流れ着き、いつか自然に、交わって行ったであろうし、長年のうちには僅かずつであっても人々は移動し、交流して行ったであろう。九州に発生した民族が、今日でも思いがけない地区に移動しているのを発見し、驚くことがある。
例えば南九州の民族風習が東北地方にそっくり残されていることなどである。
いずれにしろ、日本の文化の中には神代、いやそれ以前から九州地方に端を発したものが深々と根をおろしている。
|