バリ島で生きてます

4人の人間家族と4匹の犬、10匹の猫、その他大勢と暮らしてます。

全体表示

[ リスト ]

イメージ 1

お正月過ぎに、嬉しい贈り物が日本から届きました。
電気猫さんが、田口ランディさんの「パピオン」と言う本を送ってくれたのです。

これは、人間産まれたからには避けては通れない「死」と「看とり」をテーマに
田口ランディさんの実父の看とりと言う体験と、アメリカ人で「死」を研究し続けた
エリザベス ロス キュープラーと言う女性の事が書かれた本です。

インドネシアに住んでいて、感じた事は「なんて沢山の人が死ぬのだろう」と言う事だ。

でも、これはインドネシアだから沢山死ぬと言う事では無いはずだ。
日本でもアメリカでも、死は誰にでもやってくる事実で有るはずだから。
そう感じるのは、人と人との空間がここインドネシアでは、日本よりも蜜だからだし
死を家で迎える人が多いので、当然、死に行く人にも沢山出会う事に成るし
見る事にも成ると言う事なのだ。

死を家で迎える人が多いと言う事は、当然、死に行く人は
普通の生活の中で死に行くと言う事だ。
そこに死に行く人が寝ていて、その隣で生活者が居ると言う事だ。
死に行く人のすぐ側で、昼間おかしな出来事に出会えば、家族は笑い
排泄をし、食事をし、失恋したり、恋愛したり、怒ったり、喧嘩したり泣いたり、笑ったり。
そうして死に行く人は少しずつ、或は突然に死に向かうのだ。

これは、人間の本来の姿で、幸せな形なんでは無いかと思う。

私自身はまだ人間の「看とり」と言う経験は無いが、看とりで思い出すのは
事務所で飼っていたマニスと言う名前の犬の事だ。
犬と人間と一緒にするなと思われるかもしれませんが
そのマニスの死を通して、私は色々な事を学んだ。
そのマニスの看とりをしていた頃、知り合いのお父さんが日本で癌に成り、
帰国し日本の病院でお父さんの看とりを経験された知り合いの話を聞いた事もリンクし、
「ああ、いつか死ぬんだな」と実感として
私の心に「死」と言うものが登場し始めたのも、この経験からだ。
ううん、子供の頃から死に付いては色々と考えては居たが
もっとこう、なんて言うかな、現実的にだ。


動物家族の書庫の中に、マニスの事は書いたけれど
私がここで学んだ事は、死に行く人が死をどう受け入れるかが重要だと言う事。
マニスは、もう体はどうする事も出来ないのに死を受け入れず
死と反抗し、死神と戦っていると言うのが見て取れ
それは見ている方が辛く「もう、良いじゃない、死んだ方が楽だよ」と
思わせるものだった。
だから私は、私自身も知らない、死んでからの事を
分かるか分からないかもしれない、マニスに、一生懸命解いて聞かせた。
彼女の顔はだんだん穏やかに成り、最後には家に帰る私に永遠の「さようなら」を言ってくれた。
それは悲しい別れだったけれど、彼女の新しい魂の生への旅立ちでもあると、私には確信出来た。


知り合いのお父さんの死は、病院に長期入院と言う形で
癌の薬で幻覚症状が出ていたり、とにかく「自分の生と魂と神」と向き合うものでは無く
薬と言う現代の毒にも薬にもなるものによる、普通の生の「死」では無く
有る意味で作られた「死」に向き合う訳である。

お父さんは無くなる前には薬に寄る幻覚の中で
「俺は行かないぞ」「お前は誰だ」と言う言葉を使い、話を聞いているだけで
この世に未練が有り、まだ逝きたく無いと言う意思が分かるほど
死神と抵抗している中での死だったようだ。
それは、インドネシアでの看とりと死に様に慣れていた私には、ものすごく恐ろしい話に思えた。
そうして、ものすごく悲しい話に聞こえた。
何故、娘である彼女は、お父さんがちゃんと心から死を受け入れる事が出来る様に
手伝えなかったのだろう???




看とる人間がどの位に死を理解しているか?

看とる側の人間は、100%、死を理解している人なんて誰もいないだろう。
シャーマンだって、ヒーラーだって、予言者だって、本当の意味での死なんて
誰も知らない事である。

死んだ後の事は分からないけれど、私にはバリ人の死後の世界が
ものすごく平和に見える。それは終わりでは無く始まりである。
敗北では無く、有る意味自由を勝ち取る事である。(まぁ、死に方にも寄りますが)
だとしたらその死後を信じて、看とる時にその死後を、死に行く人に託したい気がする。
信じるものは救われるでは無いが、どうせ知らない世界の事なら
明るい未来が有る様に思えた方が、死は敗北でも、喪失でもなく成る様な気がする。

只、死後の世界を寄りよくする為に、生きている時にいかにその人と分かち合えるか?
言葉が使えない世界に旅立った人と、現世に生きている人間は
超能力者やシャーマンでない限り、中々過去の事を話し合うと言う事は難しいだろう。
だから、生きて、話が出来るうちに、ちゃんと向き合い話し、笑い、
いつか現実に話せない日が来る日の為に、後悔が無い様関わって行きたい。



死に行く事、看とる事に興味が有ったら、是非、パピオンを読んでみて下さい。
エリザベス キュープラーの探し求めた蝶の正体が
少しは分かるかもしれません。

電気猫さん、ありがとうね!


***日本ブログ村に参加しています。
     田口ランディさんの文とは、彼女がネットでコラムを書いていた頃に、
       ネットサーフィンで出会いました。
        私が初めてのPCを手に入れた頃だとしたら、10年位経つのかな?
        「何だか私と同じ匂いのする人だな」と思いました。
          知らない人なのに、同じ様な事を考えて居るのが嬉しくて
           そのコラムを定期的にとる事にしました。
  が、その後、PCを変えた時に、そのコラムの場所が分からず、次の出会いは
    日本の本屋さんでした。いつの間にか作家に成っていました。
      何だか、友人が有名に成ったようで嬉しかった。そうして、彼女の成長は
        その後の彼女の書くもので知る事が出来る。
     
     田口ランディさんは、そんな私の心の中の友人の一人です***


            ↓ ポチッとよろしくね。
 
   [https://overseas.blogmura.com/indonesia/ にほんブログ村 インドネシア情報]

閉じる コメント(22)

顔アイコン

いまの日本の医学界は、肉体(モノ)へのテクニカルな治療にばかり焦点が当てられ、もう一方の柱であるはずの心のケアやサポートが恐ろしく遅れています。
そして日常から「死」というものが隔離され隠蔽されてしまい、死ぬときは無機質な病院でチューブやコードに繋がれ死んでいく。そこにあるのは、人間の心を持った生き物としての死ではなく、肉体というマシンの死なんですね。
これからどう死ぬかというのは、非常に重要なテーマになってくると思いますし、生と死のテーマに取り組んでいる田口ランディのアプローチの行方には要注目です。

2009/2/15(日) 午後 7:57 電気猫

私は28で母を、30の誕生日に父を看取りました。共に癌との壮絶な戦いがあり、亡くなった時は悲しみと同時に戦いが終わった安堵感があったことを今でもはっきり覚えています。真剣に介護したつもりですが満足感はひとつも持てず、私が死を迎える時、いかに家族に満足感があたえられるかが生きていく課題となりました。

2009/2/15(日) 午後 8:34 [ inago ]

顔アイコン

出来ましたら先延ばしにしたい問題をプリーズと渡されたような・・・。
昨年少しからだが壊れた事もあって、重いものをとりあえずは
手放す事から始めようと、それがなかなかうまく行かないところです。

電気猫さんの言われるように、病院に入った時から命の尊厳なんて無いも同然、
命さえ操作されているような気がしてやりきれないですね。
“生きる”と“生かされる”

わりと身近で「おばあちゃんが逝ってしまうと困るんです。うちは
おばあちゃんの年金で生活が成り立ってるのですから、何をしてでも
生かしてください」って病院にお願いしたと聞きました。

生の方も操作され、死までも操作されるとしたら何なんでしょう?

2009/2/15(日) 午後 8:49 [ - ]

顔アイコン

ヤマモリさん、昔からの教えの中には、本当にうなずけるものが沢山有りますね。先住民族の教えの本なんて読むと、彼らが地球規模で大昔から、地球の将来を考えていたんだと言う事に気がつきます。これは、原住民と言って、馬鹿にして来た文明人の方が愚かだと思わざるを得ません。
三途の川の向こうには、すばらしい世界が広がっていると思えるだけでも、死に対する考えは変わる様な気がします。
日本にも、古来から三途の川の話しは沢山出てきますが、昔の人たちは知っていたのでしょうか?と、思わせてくれますね。

2009/2/16(月) 午後 4:02 Bijou

顔アイコン

ゆきーなさん、17年間も植物人間だった人のお父さん。ものすごく深く色々と考えたでしょうね。絶対に、自分の幸せの為では無く、娘さんの幸せの為に決断されたのだと思います。
植物人間でも生きている、と思いますが、本人の気持ちがわからないだけに、難しい問題ですが、私が17年間の寝たきり植物人間だったら、家族の負担を考えて、やっぱり死を選びたい様な気がします。

死に穏やかに向き合う...私がいざ、その場に成ったら、家族の大切な人のその場に成ったら...やはり、穏やかには向き合えないでしょう。只、私が看とる側なら、死後の世界は、やはり敗北としては伝えなく無いなぁ。

2009/2/16(月) 午後 4:08 Bijou

顔アイコン

電気猫さん、元気な時に「死に方」の話しをするのは、ものすごくタブーな気がしますが、元気なうちに、病院での処置やら、その後の事等、本人の希望が聞ける様な環境は有っても良い様な気がしますね。
癌の告知はするべきか?しない方が良いのか?余命の事は?

いざ、その時に、口がきけなく成っていたら、何も伝えられないです。私は今のうちに伝えておきたいなぁ。

死を敗北とか負けととらえる社会で有る限り、本人の希望は中々成就されないでしょうね。

電気猫さんの言う様に、今の医療は魂よりも肉体が優先されていますよね。魂重視な世の中に成ったら、死は敗北でも負けでもなく成るんでしょうね。

2009/2/16(月) 午後 4:15 Bijou

顔アイコン

いなごさん、お若い時に大変な事を経験されていたんですね。そうですね、どんなに真剣に介護をしても、満足感は無いでしょうね。
私も、家族には「私の死に方(病気編)」とか「私の死に方(事故編)」とか、ちゃんと希望を伝えて起きたいと思います。せめて残された家族が「Bijouの希望の通りにしたんだから」と思ってもらえれば...でも、どうなんだろうねぇ...家族の気持ちも絡んで来るだろうし、中々難しい問題ですね。

2009/2/16(月) 午後 4:19 Bijou

顔アイコン

グラピさん、こう言う問題は先延ばしにしたいですよね。でも、私の場合は、自分の体の事で「あれ?」と思った3年位前から、まじめに考えようと思い始めました。
おばあちゃんの年金の話しは...なんとも、辛い話しですね。
あまりにも医療の技術が進んだ為に起きる弊害も有りますね。機械に繋がれ、呼吸をしているだけで、生きていると言えるのか?
そう思うと、昔の医療技術の進歩していなかった時代の方が、人間の汚い所も見えなかったのかな?

まじめに考えていますが、中々答えは出ませんね。自分の場合なら、と言う事は色々言えますが...

生も死も、神様の領域であると言う事だけは、忘れては行けないですよね。

2009/2/16(月) 午後 4:26 Bijou

顔アイコン

それぞれの持つ「人生観」ってのが垣間見える話題ですね。

私は、先進国における「最期」の決め方は、その魂の持ち主のためではなく、周囲の人のためにあるのではないかと感じます。Bijyouさんの見出すバリ人の死後の世界も、植物状態の末に旅立つ死後の世界も、あまたの宗教が語る来世も、みんな、生きているものたちが理解不能の「死への恐怖」を、自分なりに受け止めるためにつむぎだされたものではないでしょうか。

そんでもって、そんな「死」という回避不能の最期と、それがいつ訪れるか分からないことに対する「恐怖」が、人間の「生」を豊かにするのだと私は感じます。

私の幼馴染で、難病のALSに罹り、どんどん動かなくなっていく体と実感し、自分を看病する両親の置いていく姿を目の当たりにしながら、それでも自分の生に価値を見出し闘病を続けているものがいます。わずかに動く頬の筋肉にセンサーを当て、同じ病に絶望する人たちにメッセージを送り続けています。

自分の生に価値を見出せる限りそれは尊厳ある命であると思います。そして、それを可能にした医療技術の進歩を、害であると切り捨てることは、私にはできません

2009/2/16(月) 午後 10:21 さくらすたぢお

顔アイコン

とても興味深いお話です。
私もエリザベス・キューブラーロスの本、2,3冊読んだことあります。
死ぬって普通のことなんですよね。死は人生の到達点のような気がします。死は病ではないのだから、バリのように自分の家で死にたいものです。
人は別れによってまたひとつ大きくなると思うので、身近に普通の死があるというのは、変に隠されてしまっているよりもよっぽど健全なんじゃないかと思います。

2009/2/16(月) 午後 11:40 さるみみの見た世界

顔アイコン

さくらすたぢおさん、まさにその通り。先進国の最期は、本人の為と言うより、残された人の為に有る様な気がします。
恐怖や畏怖が人間の生を豊かにする。いにしえの時から、人間は自然や死にたいし、恐怖や畏怖を持って、色々な教えや啓示が現れた。現代の殺人事件(無差別とか通りすがりとか)等(まぁ、昔にも有ったのだとは思いますが)、こう言った恐怖や畏怖の念があれば、あり得ない事件だと思います。

やっぱり、死は隠してはいけないものなんだよなぁ。
死に行く人も、死に行く動物も、どんどん接して見て、感じ、学ばないとと思います。

さくらすたぢおさんの幼馴染さんのメッセージは、とてもすばらしいものですね。学んでいる人が周りに沢山居るでしょうね。

2009/2/17(火) 午後 0:07 Bijou

顔アイコン

さるみみさん、死は病では無い...そうですね。どんなに健康な人でも避けては通れない出来事ですね。こちらでは、「あそこのおばあちゃんが、亡くなりそうなんだけど、見に行く?(インドネシア語を直訳すると、こんな言い方)」みたいな感じで、近所の家にお見舞いに行ったりして、遺体も日本の様にお葬式に行ったら、既に棺桶の中であまり見る事は無い、と言う状況では無く、そこに寝かされている事が多いです。
埋葬の日に良い日が無ければ、良い日に成るまで家で寝かされていたりしますし...病人をお見舞いに行った先の家の人々と、久しぶりの対面なら、お見舞いがてら、近況報告しながら笑ったり...本当にごく日常の中に、人の死も存在します。
勿論、亡くなられた人への思いや、悲しみは同じです。只、肉体を捨て自由に成った魂は、解放され、必要なら自分の孫に成ったりして帰ってくるんです。
ものすごくシンプルに、ここでは人の死が人の思いとシンクロしていますね。

2009/2/18(水) 午前 9:16 Bijou

顔アイコン

もっと自由に生きたい死にたい。
そんな風に思っちゃうな〜。
先日、娘とこんな話をしました。お風呂に岩塩を入れて入浴しています。だんだんと岩塩が小さくなっていって、とうとう見えなくなりました。
娘「あ〜ぁ、なくなっちゃった」
私「ん〜ん、無くなってないよ。見えなくなっただけ」
娘「なんで〜?」
私「形を変えて水と一緒になっちゃったんだよ」
娘「へぇ。じゃあまた岩塩になるの?」
私「かもね。。」

2009/2/18(水) 午後 4:04 [ - ]

顔アイコン

ポカラさん、娘さんと良い関係ですね。うん、良い会話です。

魂も形を変えて存在すると言う考えは良いですね。肉体が無いから、喧嘩もジェラシーも存在出来ないし。
肉体の有るうちに、不要(マイナス)な感情は、持たない様に修練して、肉体が無くなった時には、良いエネルギーで漂いたいなぁ。

又、岩塩に成った時には、もっと成分の良い岩塩になれれば良いし。

ポカラさん親子、微笑ましく、素敵ですね。

2009/2/20(金) 午前 9:47 Bijou

顔アイコン

インドネシア滞在中にうちの大学の先生が亡くなってお葬式に行ったことがあります。日本のように棺桶に入っていなくて、まるで寝ているように部屋の真ん中に安置されてまわりで人々がお祈りを唱え続けていました。隣の部屋では食事をしている人や、亡くなった方の思い出を話している方、あるいは久しぶりに会った人と世間話をしている人たち…。なんだか不思議でした。日本では遺体を目にすることはほとんどなく、テレビのニュースでも死んだ人の体は絶対に映さない。インドネシアでは生と死がぴったりひとつにくっついているような気がしました。でも、それと同時にこんなにまわりに人がいるのに亡くなった方はやはり「死」というもので切り取られて途方もなく孤独なような、そんなことも感じました。
今は生きることで精一杯。でも、必ず「死」や「看取り」というものに向かい合わなければいけない日も来るんでしょうね。

2009/2/20(金) 午後 6:02 pelupa

顔アイコン

Pelupaさん、インドネシアでは遺体は有る意味では、もう抜け殻なんですね。魂の抜けてしまった体は、その人であって、もうその人では無いのでしょうか、そんな気がします。
お葬式なのに、お葬式では無い様な雰囲気が有ったでしょう?

勿論、こちらの人も家族が亡くなれば、日本人と同じ様に悲しみますが、悲しみから立ち直るのも、早い様な気がします。死生観が違うのでしょうか。

2009/2/20(金) 午後 9:07 Bijou

↑そうですよね。
早く埋めないと別の問題も出てくるし。
特にイスラムは次の日には埋葬終わっていますから、連絡聞いてから最後の別れに・・・と思っても大体がすでに土の中。そういえば最近毎年誰かが(その人の身内入れて)なくなっているような・・・
ちなみに、ラジャのクリスチャンの村は「大泣きすることが死者に対する礼儀」というところもあるんです。。
大変です。大人も子供もおじいちゃんもおばあちゃんも♂も♀も皆大声だして泣いてくれますよ。。

2009/2/21(土) 午後 11:32 まさ

顔アイコン

まささん、ラジャのクリスチャンの方々は、大泣きするんですか?インドネシアでは珍しいかもですね。中には泣けない人も居る様な気がしますが、それは礼儀に反するのでしょうか?
我が職人さんの何人かもクリスチャン(スラヴェシ島)なので、ちょっと聞いてみよう。
インドネシア生活は、日本での生活よりも身直で沢山の方が亡くなる様な気がするのは、人間関係の密度の濃さでしょうか。
モスリムの方のお葬式はそうですね、大概が間に合わずに、埋葬されてしまっている事が多いですね。

2009/2/22(日) 午前 10:36 Bijou

顔アイコン

マニスのことは 鮮明に覚えてるなぁ・・うちとダブってた事もあってさ。私もわんちゃんの事しか わからないけど よく 死に急いでたもんなぁ・・って言葉があるように やっぱり その人 その人の
運命って 決まってるような気がするなぁ・・
ちょうど この前インドのガンジス川の話をしていて その横に死体が流れてきたら・・今の私は まだまだ 受け入れられないと思うなぁ・・昨日アカデミ−賞の<おくれ人>って なんか そういうことの映画らしいよ。

2009/2/24(火) 午後 0:44 びんたん

顔アイコン

やっちゃん、おくれ人、見てみたいね。
やっちゃん、今度バリに来る時に、是非会わせたい人が居るから、前もって連絡してね。

マニスの事、私にとっては大きな出来事でした。ものすごく「魂」と言うものの事を考え、感じる事の出来る出来事でした。心臓に突き刺さったよ。実感で。

2009/2/26(木) 午後 11:31 Bijou

開く トラックバック(1)


.
Bijou
Bijou
女性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

過去の記事一覧

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事