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「俺の送ったE-mail着いた?」と旦那が朝から私に言う。
「何でわざわざ、私にE-mail?」と思ったら
インドネシア人の書いているブログのURLだった。
送ってくれたのはこれ↓
http://matk3production.blogspot.com/2009/06/sungai-gangga-slumdog-millionaire.html
心臓の悪い人、恐がりな人、目を背けたい人は見ないで下さい。
インドのガンジス川の風景の写真です。
インドネシアでは宗教、或は地域により、亡くなった人の葬り方はまちまちだが
ヒンドゥー教の人は別として、日本の火葬の話をすると
「いや〜〜焼いちゃうの?可哀想じゃない」と、殆どの人がビックリし
嫌悪感まで抱く人も居る。残酷だと思うみたいだ。
私のスタッフには、スラヴェシ島から来ている人が沢山居るが
同じスラヴェシの中でも、地域によりずいぶんと異なるみたい。
一度は訪れてみたい場所のトラジャから来ている子は、
あの有名な鳥葬を当たり前として生きて来たし、
現代の未だにそれは守られている。
我が旦那の地方では、以前にも書いたが、亡くなった人は近所の人々に
お水で清められ、白い布で包まれ、穴を開けた土の中に竹で土台を組み、その上に遺体を乗せ
土をかけたら、終わりである。埋めた土の上に、様々なちぎった花々を振りまき終了。
シンプル。簡単。
初めて見た時には「私の動物の葬り方と同じじゃない」とショックを受けた。
自分もいずれは、この方法で葬られるのだなと。
今は長くここに住み、私の価値観もだいぶ変わり、
「土に帰る」.....そのままだな。と思える。
インドのそれはあまりにもリアルで、普段隠されている部分が目に見えると言う事に
ショックを受けるが、土に帰ると思えたジャワ島式の埋葬の仕方も
目に見えないだけであって、土の中ではこれと同じ事が繰り返されているのだ。
ただそれが、犬や鳥はバクテリアや虫、その他の物に取って代わるだけであり
起こっている事は同じである。
このブログを見て、有る意味感動すら覚えた私は、随分と自分の価値観が変わったなと思う。
書かれている文章にでは無く、写真に感動。
何に感動したかと言うと、「人も死んだらその肉体は自然の中で巡回して行く」と言う事を
改めて感じたからだ。
動物に食べられた肉体は、その動物の肉体に変わり、
その動物もいずれは死に、又新たな動物に食べられ、巡り巡り命は巡り巡回し
すべては一つと成って行くと言う事だ。
土に葬られた肉体は、近くの木の栄養と成って生き続けるかもしれないし
その木は奇麗な酸素を沢山生み出し、生きとし生けるものへのお返しが出来る。
あんなにショックを受け拒否反応を示した、ジャワ島の埋葬の仕方。
今はその方が良いと心の底から思える。
価値観を変えるのに18年もかかったけれど、この価値観の方が正と思える。
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どういう埋葬の仕方をするのかいうのは、どういう文化をもっているのかということですね。私も、巡回していくというのは、感じますね。キリスト教では、全く違ってると思うけどね。
こわかったので、インドのは、見ませんでした。
2009/11/26(木) 午後 5:17
個人的にはヒンドゥー式の水に流して終わり。墓なんか無しというのが一番シンプルでいいと思ってます。
そのまま自然のサイクルに帰るのが理想ですが、日本だとさすがにそのまま流せないので、灰を川や海や山に撒く自然葬ですね。
映画「リトル・ブッダ」のラストで、シアトルの海に高僧の遺灰を流すシーンが理想です。
墓なんて、残された者には意味があっても、死者にとっては何の意味も無いと思います。戒名にいたっては、全く意味不明ですね。あれは霊感商法そのものです。
2009/11/26(木) 午後 8:13
ポルトガルでは普通は土葬ですが、貧乏な人はお墓を買えず、公営の墓地に数年保管した後、骨になった物を洗い、別の箱に保存して、埋葬するそうです。でも、埋葬料がないひとは、箱を自分の家で保管すると・・
家に来るお客さんで、貧しいおばあちゃんが、旦那様と娘が入った箱を居間に置いてあるのだけど、それに掛けるきれいなヌノを探していると言われ、初めて知りました
日本でもお骨を仏壇に入れることはあっても、骨全部じゃ無いものね
習慣の違い・・大きいです
2009/11/26(木) 午後 8:24
ヴァーラーナスィーのダシャーシュワメート・ガートですね。
私、まさにこの場に行って、朝から晩まで人が燃やされるのを見ていました。
船に乗ったら、ソーセージ色の腕が流れてきました。
写真の「遺体」は、ガート(沐浴場)の対岸にある「死者の地」かな。
ここは洲になっていて流れが遅いので、遺体が漂着します。
天寿を全うした(と思しき)者は火葬され、そのあと散骨。
人生半ばで病死したりした者は、サリーにくるまれそのまま流されます。
火葬場の横で、牛が小便を垂れ流し、洗濯人たちが洗濯をし、親父が歯を磨いてます。もちろん、沐浴している人もいるし、鼻で笛を吹くおじさんや「神様イラネガ」と土産物を売るガキンチョもいます。
行く前は、人生観が変わるのかぁ・・・とか思っていましたが、
現地で目の当たりにすると、極めて当たり前の風景にみえました。
2009/11/27(金) 午前 0:40
写真も拝見しました。
遠藤周作の「深い川」を思い出しました。
年月を置いて最近また読みかえした本です。
基本的には私も人は自然に還るのが無理のない自然な姿に思えます。
陶器の壷に入れて保管したり、値段によって変わる戒名をつけたり、
あの世に行ってまで名前で差別されたくないですよね。
2009/11/27(金) 午前 10:47 [ - ]
ゆきーなさん、死者に対する考えは国によって、個々の人々によってまちまちですね。インドネシアにもキリスト教の人は居ますが、現地に代々伝わる「アダット」と呼ばれる伝統によって埋葬される人の方が多いです。結婚式は随分と宗教色が強く出て来ていますが...
インドのは生々しいと言えば生々しいですね。インドのあるがままがそこに有ります。私は全然知らないで開けてしまったので、見てしまいましたが、昔の私なら「わぁ...(泣)」と成っていたと思います。
2009/11/28(土) 午後 0:02
電気猫さん、インドのヒンドゥーは詳しく有りませんが、バリ島のそれは、「肉体はただの入れ物である」と言う考えが強いですね。ただ個人的なお葬式に参加すると「ああ、やはり人間だものな」と思います。火葬にし、灰を川や海に流すのは同じですが、金銭的に無理が有る場合は、正式なお葬式が出来る様に成るまで土の中に埋葬されます。
天寿を全うされた方のお葬式は晴れ晴れしいかんも有る位ですが、事故の場合などは、やはり家族の気持ちは複雑なものが有る様に思いました。
死は終わりでは無く始まりである...と言う考えは残るものにとっても逝く人にとっても救われる様な気がします。日本のそれは、死は有る意味で敗北の様な感が強すぎる。
2009/11/28(土) 午後 0:14
グラサさん、バリ島でも火葬をする為のお金の無い人は、共同の埋葬場所に一旦埋葬し、その後、お金が出来たら火葬にしたり、共同で火葬する場合も有ります。インドネシアの全体では、お墓は購入するものでは無く、昔からお墓として使われている場所に、埋葬されます。共同の場所なので、個人的に墓石を立てたりと言う様な事が自由には出来ません。場所によっては、どこに誰が埋まっているのか?わからない場合も有る様です。
本当に地域により、まちまちですね。
2009/11/28(土) 午後 0:30
さくらすたぢおさん、ここに行かれたんですか...
昔、写真家の撮ったインドの写真でもこの様な写真を見た事が有りますが、その時は思わず本を閉じた私でした。
この風景に「死は敗北で有る」と言う感じが全然しないのは、インド人の死生観がそうさせるのでしょうね。
この風景を生で見たら、「きわめて当たり前の風景」ととる人とものすごくショックを受ける人と、色々でしょうね。
実際目の前で見たら私もどう成るか分かりませんが、私も至極当たり前の風景なんだなと思えます。肉体によりも魂に重点を置く死生観なのでしょうね。
2009/11/28(土) 午後 0:42
グーピーさん、遠藤周作さんも確かインドに行った事が有るんですよね。この風景を見ているんでは無いかな...
「深い川」私は読んだ事が有りませんが、読んでみます。
戒名は値段で変わるのは、何だかねぇ。おかしな考え方ですね。お金の無い人はあの世でも位は低いと言う事でしょうか?魂にまでカーストが有ると言う事?私も戒名なんて要らないなぁ。
2009/11/28(土) 午後 0:49
述べていること理解できます。とは言っても交通事故で脳みそが出ている写真は日常ではないのでビックリしましたけどね。
私も最近つくづく思うのです、先進国の人々は傲慢です。経済にしたって文化だ文明だと言っているけれど、発展途上国の支えなしでは生活の維持すら出来ない。発展途上国の人々からかすりを取って生きているようなものだからね。そういう生活をしているくせに臭いものには蓋をして知らぬ存ぞぜぬと言う顔をしているのだから。毎日ウンチもシッコもするくせにね。
文明社会では、人間は特別な存在と考えていることがそもそも間違いなんですよね。全てで一つなのに・・・・・。
いつも心にキューンとくる問題提起ありがとう。ポチ
2009/12/7(月) 午後 9:38
ミネルヴァさん、今の日本の子供達に必要なのは「あるがままを見る力」だと思うんです。あまりにも大人達が庇いすぎた様に感じています。それは本当の愛情では無いように思う。子供達って私たちが忘れているだけで、大人よりも正確な判断が出来ると思うんです。
私の子供の頃は引かれて死んでしまった犬などを、日常で良く見かけました。そこから「車を運転する様に成ったら、気をつけよう」とか子供なりに勉強出来た様な気がするんです。
私の不思議の中に「抗菌コート済」が有るんですが、元々持っている人間の力がオブラートに包まれて行くと言う気がして成りません。
私は、インドガンジス川の写真しか見ていないんですが、そんな写真も有ったんだ!うう、ちゃんと全部見てから公開した方が良かったかも...失礼しました。
2009/12/8(火) 午後 0:50
まったくそのとおりですね。
イヤ〜ッ、bijouさんの考え方はすごいです。というよりbijouさんの考え方が本来の考え方なのに日本人がまちがった方向に進んでいるように私も思えます。
私も何度かそう言うことをブログで書いたことがあります。しかし、日本人に対してこんな事を書いても仕方がないと思い今は止めました。でも、bijouさんのようにこういう事を真面目に論じあえる人が日本人にいるということに胸を熱くしました。ありがとう。
2009/12/8(火) 午後 10:45
ミネルヴァさん、バリから応援しているのでどんどん声を大にして下さい。だって大切な日本の事なんだから。私たちの時代でこんな方向にしてしまったけれど、それは間違えていたから、本当はこうだよ、と。
一度は通らなきゃ成らない時代だったのかもしれないけれど、それは間違えていたからと大人がちゃんと言えなきゃ、子供達が可哀想。ここに来ている人たちも、私たちの様な考え方だと思います。
頑張れ〜〜〜!!!
2009/12/9(水) 午後 6:06 [ bijou ]