土曜の夜はフィーバーだ!

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想い出の赤い椅子

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ビー・ジーズ初来日(1972年3月25日、大阪フェスティバル・ホール)のパンフレットとチケット半券です。
キョードー大阪とポリドールのチラシも今となってはめずらしい。いやいや貴重品だ!

  ロックがこんなにも美しいとは…
  若者のアイドル ザ・ビー・ジーズ 突如 初来日 決定
  ソフト・ロックの王者はザ・ビー・ジーズなのだ!

こんなキャッチ・コピーにも時代を感じます。
またパンフレットには、沢田研二(歌手)と今野雄二(音楽評論家)の対談が掲載されています。
ビー・ジーズの来日パンフなのに、ニール・ヤングやエルトン・ジョンで盛り上がったり、派手さがあんまりないとか言われています。
私が関係者だったらこの部分は当然カットしてやる!


後に知るのですが、この時期のビー・ジーズはかつてのようなヒットにも恵まれずまさに低迷期だったのです。
ま、派手さがあんまりないからしょうがないのかなぁ?
でも私は一年中ビー・ジーズを聴いていたので、うかつにも彼らに低迷期があったなんて知らなかったよぅ!


そうです!私にとってビー・ジーズはいつでもNo.1でOnly Oneなのです!

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こんばんは。 すごい貴重なものを見せていただき感謝です。 でも >うかつにも彼らに低迷期があったなんて知らなかったよぅ! には笑わせていただきました。ほのぼのしててGOODです。 でも72年はまだ前年のNo.1(海外では「傷心〜」日本でも「メロディ〜」)の余韻やスマッシュヒットも数曲ありましたから一応「旬」でしょう。(笑) 73年、74年はちょっときつかったですね。 でも、そう自分にとってN0.1だからいいですよね。 削除

2007/3/9(金) 午前 1:10 [ 日本グラモフォン ] 返信する

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日本グラモフォンさん、さんくす。そうですよね80年以降のビー・ジーズ自身にはNo.1はなかったけれど、私にとってビー・ジーズは永遠のOnly Oneなのです!(あ、これって「世界で一つだけの花」のパクリか?)ごめんね槇原くん。

2007/3/9(金) 午前 2:47 レトロポリス 返信する

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当時田舎の高校生だった私はこのコンサートに行けないことを心底うらみました。東京や大阪ははるか彼方の大都会でした。やっと彼等のコンサートを観れたのは、何と17年後でした。 削除

2007/3/11(日) 午後 0:56 [ 富士のくり丸 ] 返信する

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子供の頃は、大人になったらなんでも出来ると思ってましたけど、実は大人になってもままならないことっていっぱいありますよね。

2007/3/11(日) 午後 1:42 レトロポリス 返信する

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