|
作詞作曲家の殿堂入りした時、上は彼らの写真で、同じ扱いが信じられなかった。僕には凄いことだった。
モーリス・ギブ
DVD「ケッペル・ロード」より。 |

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用
こんにちは、ゲストさん
[ リスト | 詳細 ]
|
作詞作曲家の殿堂入りした時、上は彼らの写真で、同じ扱いが信じられなかった。僕には凄いことだった。
モーリス・ギブ
DVD「ケッペル・ロード」より。 |
|
歌詞は街での生き残りについて書いた。ディスコやダンスとは関係ない。
ロビン・ギブ
DVD「ケッペル・ロード」より。 |
|
「ステイン・アライヴ」は当時の、ニューヨーク的風刺も反映してる。カリフォルニアに勝っていた…。
スタジオ54などのナイトライフを、これがなければ未来がないと若者は思った。『サタデー・ナイト・フィーバー』のトニーのように。
バリー・ギブ
DVD「ケッペル・ロード」より。 |
|
レコード会社も興味を失い、マネージメント会社も出ていった。マネージャーはミュージカルへ…。仕事ができない。
マン島に住んでいたけど、まるでドン底。音楽シーンとは切れた。僕は酒の量が増えた。酒を飲んだり騒いだりするしかない。で、酒にハマっていった。ロビンだけはイギリスに家を持てた。
あれだけ働いたのに残ったのは車1台と8000ポンド。それも売り、フィッシュ&チップスの店の隣へ、銀行の口座に金はなかった。その頃までに、ルルとは分かれ再婚していた。息子のアダムはまだ6ヶ月で住む所も限られた。厳しかったよ。隣の店の料理は美味かったが、家の中はとても寒かった。
モーリス・ギブ
DVD「ケッペル・ロード」より。
1973年4月モーリスとルル離婚。1975年5月シングル「ジャイヴ・トーキン」、アルバム「メインコース」リリース、
ビー・ジーズの第三期黄金時代の幕が開く。1975年10月モーリス、イヴォンヌ・スペンサリーと再婚。 |
|
ある晩、スタジオへ行くと僕1人だけ。
エンジニアは「やろう」って言ったけど、僕は断ったよ。ギターを持って帰った。
ロバートの家へ行って話し、ロビンとモーリスの録音を知った。その時、初めて知って思ったよ「もう終わりだ」。僕とモーリスと続けた。ロビンは「救いの鐘」が大ヒット、僕らの「想い出を胸に」もヒットした。
でもこの15ヶ月の間は幸せじゃなかった。その後、ロビンが来た時は皆ぼんやりしてた、クスリのせいでね。彼はこう言ったんだ「一からやり直そう」って。
2年ぶりに3人で作ったのが「傷心の日々」、歌詞は当時の僕らの心境そのもの。
バリー・ギブ
DVD「ケッペル・ロード」より。
1970年8月、ロビンが15ヶ月ぶりにバリー、モーリスの元に戻る。9月に再結成後初のシングル「ロンリー・デイ」、12月にアルバム「トゥ・イヤーズ・オン」リリース。翌71年5月にシングル「傷心の日々」リリース。 |
| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 |
| 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 |
| 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 |
| 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |
| 29 | 30 | 31 |
[PR]お得情報