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ビー・ジーズについての証言

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ビー・ジーズは歌うってより聴くもの。
 
数年前に馴染みのショットBARで、ミニオフ会を兼ねたカラオケ大会を開いた時にマスターが放ったひと言。
「ビー・ジーズは歌うってより聴くものですね」と言った後に「ビー・ジーズ・ファンはピュアな人ばっかりやけど、レトロポリスさんだけは心が汚れきっている。きっとファン・クラブの中でもアウェイでしょ?」と言いやがった。ぬぐぐぐっ・ぐぅ!よくぞ見破ったな明智くん、こうなりゃ「ワッハハハ」とワイルドに笑うしかないだろ。
今は閉店してしまったBARのマスターが思わず言ったことですが、なるほどBee Geesのクセのある(個性的な)声で歌われたら、そんじょそこらの歌手じゃ太刀打ち出来ません。ギブ兄弟のヴォーカル・スタイルは唯一無二ですもの。
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70年代にビー・ジーズが出てきた時、シビれたんだ。泣いたよ。
彼らの音楽を聴いて涙が出た。歌も間奏もすべて頭に入っていたよ。
この曲(BGs「傷心の日々」)は大好きさ。それから彼らが「サタデー・ナイト・フィーバー」をやった時もシビれたんだ。こう言ったよ「これをやんなきゃ。これをやればいいんだ僕は」、それで「スリラー」がヒットさ。
その後まさに僕は曲を書き始めた。「ビリー・ジーン」を書いたよ。「今夜はビート・イット」も書いた。「スタート・サムシング」も。書きまくった。楽しかったよ。
 
マイケル・ジャクソン
Michael Jackson Private Interviewより。訳:MINE
始まって1分あたりでビー・ジーズについて語り出したマイケルが「傷心の日々」を口ずさみます。
 
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フランク・シナトラが売ったレコードは私の4分の1だ。私はビング・クロスビー、ローリング・ストーンズ、ビートルズ、ビー・ジーズ、ポール・アンカ、エルトン・ジョン、ピンク・フロイドなどと同じ波の上に乗っている。
 
フリオ・イグレシアス
「フリオ・イグレシアス 自伝:天国と地獄の間」与五沢真知子訳('83)より。
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もっと何年も前に離れていたはずなのにね。
実は…自分が納得できなかったことがあって。すべてが手に負えなくなったんだ。
彼らのために自分がやったすべてのこと、自分が彼らを助けてきたことを思い巡らすのが好きさ。
彼らがその時それをどう思ったかはわからないが、僕がやったことは時がたてば分かるさ。
 
トム・ケネディ
伝記「ギブ兄弟の物語」第36章YOU DON'T SAY US ANYMORE掲載。
ビー・ジーズと長年共にしたロード・マネージャーでありスタジオ・マネージャーを務めてきたトム・ケネディが彼らの元での仕事を離れてイギリスへ戻るのを決めたのはこの頃のことである。6週間のはずが「二十数年」もいてしまった男は、これで終わりにすると決めていた。
1987年、ビー・ジーズとの日々を深い愛情をもってトム・ケネディは振り返る。
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ファースト・シングルは「イートン・アライヴで、バリーとモーリスの作品だが、マイケル・ジャクソンが手を加え、プロデュースも一緒にやった曲だった。悪くはないのだが、有名どころが参加したものとして期待してしまう何か特別な作品というものでもなかった。
アルビーが、マイケル・ジャクソンが初めて関わってきたいきさつを振り返る。「おかしな話なんだ、初めて彼から僕に電話があった時、その時僕は家にいたわけだけど、とにかく電話がかかってきた時は誰かのいたずらかと思ったよ、だって彼の声って特徴があるだろ。僕の電話番号は調べられたけど、バリーの電話番号は無理だったんだね」と説明する。「その時は彼はまだバリーと面識はなかったんだけど、常にバリーに会いたがってたんだ」
マイケル・ジャクソンはこの曲の共同プロデューサーになったが、アルビーが言うには、「マイケルとバリーの間に僕は一週間座って過ごしたんだけど、マイケルは一度も自分のバリアを外させなかった。彼はかなり――何事も自分の思い通りにやる人間だね、たぶん――でも情緒面には障害があるのは確かだ」
アルビーは「イートン・アライヴ」を「我々がカッティングした中で一番凄い曲」だと言う。さらにこう言う。「もし誰かがバリーに曲を頼んでヒットするはずだったのにそうならなかった曲があるとすれば、『イートン・アライヴ』だったかも知れない」
 
アルビー・ガルテン
伝記「ギブ兄弟の物語」第36章YOU DON'T SAY US ANYMORE掲載。
レコードの配給会社が変わったためアリフ・マーデンによるプロデュース('74年「ミスター・ナチュラル」、'75年「メイン・コース」)が不可能になってしまったため、'76年の「チルドレン・オブ・ザ・ワールド」からアルビー・ガルデンとカール・リチャードソンが共同プロデューサーとして参加。
バリーがプロデュースしたダイアナ・ロスのアルバム「イートン・アライヴ」('85)の同名シングルにマイケル・ジャクソンが関わってきた経緯をアルビーが語ります。
シングル「イートン・アライヴ」についてアルビーは、「悪くはないのだが、有名どころが参加したものとして期待してしまう何か特別な作品というものでもなかった」と言うが、「我々がカッティングした中で一番凄い曲」とも言っています。関わった人にとっては複雑な曲なのかも知れません。

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