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「じぶんとは何者なのか」 という分野はとても好きなので、興味深く、楽しかったです。 著者は わたしが、もともと他者との関係のなかでしか<わたし>とならない(p.109,l.4)
という風に考えられたのには、「ああ、そうか!」と 膝をうつというか、目からウロコがボロボロとれまくりました。 さらに わたしが<わたし>でありうるためには、わたしは他者の世界のなかに
一つの確かな場所を占めているのでなくてはならない(p.119,l.4-5) 「他者の他者」 ともおっしゃっておられて、もう、ブラボー!という感じです。 いやぁ、本当に面白かった。 私たちが「自分って…?」とか「ほんとうの自分とは」って 考える時に、自分の内面に目を向けがちですが、そうじゃなくて 例えば 「○○さんの息子」とか「○○さんにとって自分は友達」といった 他人の中での認識というか、位置なのですね。 私の最近の不機嫌?の一つである
「構ってくれよお」っていうのも、 「他人のなかにじぶんが意味のある場所を占めているか」(p.177, l.2-3) が分からなくて、「じぶん」が崩れそうになっている?/意識できなくなっている? からなのかもしれませんね。 |
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なるほどなぁ〜、他者の中に自分が居るのか。そういう考え方も面白いなぁ〜。でも、自分が意識する自分は誰なんだろ??それは第三者の立場で自分を見てる自分なのかな??なんだかすごく哲学的だ。今度「哲学の道」を歩いて考えてみようかな・・・。
2006/11/20(月) 午後 3:31
「自分が意識する自分」というのも、他人との区別を通して分かる訳だから、自分というのは他者の他者、ということなのです。筆者によると。第三者の立場で自分を見ているのでしょうね。哲学の道を歩きながら考えて見て下さい☆
2006/11/20(月) 午後 3:55