|
『変わる富士山測候所』の「あとがきに代えて」によると、測候所の無人化の方針が伝えられたのは、 「昨年10月」。本書の出版年は2004年だから、さらに一年前の2003年の10月のこと。で、 危機意識を持った同志たちは年を越すまでに国際会議7で広報したり利用希望者に意見を聞いたが、 測候所存続のための方向は見出せなかったらしく。 2004年の年明け、無人化への体制が整いつつある現状を憂慮しつつも、土器屋、五十嵐、高橋は、 愚痴りながら呑んでいたと述懐。しかし同席していた編集者の伝で出版社社長の、 「みなさんの思いのたけを本にしてみませんか」という計らいで、本作りを開始。当初は、 『さよなら富士山測候所』という情緒の入った題名だったと見え。 富士山高所科学研究会としては慌しい2003年の師走のうちに声明を出している。つまり2004年は、 本作りと広報活動が並行していたんですね。2005年はNPO化に体制を整えていった時期で、 私も設立総会の広報と報告をしていまして。翌2006年、晴れてNPOとして船出したシンポジウムは、 私の書き振りからは謝恩会に近かったのかな。 |
富士山測候所問題
[ リスト ]



