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先々週の土曜日から、視覚障碍者のパソコン講習会にボランティア要員として参加していまして。で、 一昨日ひとり、午後の講座の予定を間違えて、午前の講習会に参加してしまったんですね。私自身は、 受講者の横についてサポートするわけでなく、うろつき回って受講者の進行具合を確認するだけだったので、 飛び入りの受講者の画面も覗き込むことが出来ました。 後で確認したら、交通事故の後遺症だとかでひらがなが読めなくなったらしく。漢字は読めるし、 会話をする分には支障はないとも担当したボランティアの方が報告を。サポートしてくれた人自身、 不思議がっていましたが、理屈としては通るものを聴いている側から思いつき。とはいっても、 理屈を並べ立てても感心されこそすれ「空気を読めない」と嫌われる恐れがあって、発言しなかったのです。 「漢字が読めてひらがなが読めない」。奇異に感じるのは、漢字を覚えるのに必死だった子ども時代、 ふりがなを振って覚えた記憶があるからでしょう。つまり漢字の読みを忘れて発音だけの、 かなの理解しか出来なくなったというなら、理屈としては解るから。話し言葉はそもそも、 全てかなに置き換えられるという理屈を思いつくことが出来れば。 確かに話し言葉は全て、かなに置き換え可能ではあり。しかし会話において日本人は、漢字かな混じり、 適時カタカナを織り交ぜた台詞として理解しているのではないか? もちろんアナウンサーの台詞を、 随時文字に変換しているわけでなし。にも拘らず会話や報告を瞬時に理解できるのは膨大なデータベースを、 脳の中に蓄積していると考えるのが自然。一方でかなは本来、意味を持つことが出来ないもの。 ということは意味のある発音はデータベースから引っ張り出すことは出来るが、意味のない一音一音は、 文字としての検索回路が失われたと解釈することができる。もう少し理由を突っ込めば漢字を覚えたら、 話し言葉では音として入ってくるにも拘らず、かなの部分が消えて音と漢字が直接結ばれたと考えることに。 たとえば音としての「FUSHIGI」と、かなとしての「ふしぎ」に、漢字としての「不思議」について考察。 子どもはまず「FUSHIGI」という発音と使い方を覚えて、ひらがなが使えるようになったら「ふしぎ」と、 詳しく論じれば「FU」を「ふ」に、「SHI」を「し」に、「GI」を「ぎ」に当て嵌めることを覚え。で、 最後の段階になって「ふしぎ」は「不思議」と漢字に書けることを覚えて、日本語を一つ学習した形。で、 かなとしての「ふしぎ」は取り敢えず不要になり、「FUSHIGI」と「不思議」が直結したわけ。 だから「ふしぎ」が読めなくても、音としての「FUSHIGI」と漢字としての「不思議」の回路があれば、 漢字が読めるという理屈が成り立つというところ。だから理屈を求めるという障害の性質を考えれば、 万葉仮名から説き起こして理解させるのも一つの手かと。素人の思いつきだけれども。 |
パソコンボランティア
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