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『STALIN』を聴きながら書いているけど、「面白さ」は解るようになったけど、「凄い」とは、
依然認識できず。聴き込めば上質な演奏の様々な音が重なり合い、一体になっていると解る。が、簡単に言えば鬼気迫る音でない。例えば忌野清志郎なら晩年間近のラフィータフィーにも、 流石と思わせる楽曲があった。しかし『STALIN』には強引に振り向かせる力はなく。 しかし「STALIN」路線を推し進めても<「スターリン、ブタの生首」という図式>は、 拭えなかったと人のケツ見て25年(その27「現実を見る」)を読んで思う。簡単に言えば、 ミチロウは「バンドの“気”」を音に記録することに失敗したと。売り上げには失敗したみたいだが、 パンタの『クリスタル・ナハト』は、確かに「悲劇の表現」に成功した一枚で。 しかしメンバーだった三原重夫のサイトを読んで、「STALIN」時代のミチロウが、 他のメンバーの「教師」だったと理解でき。以下の一文が証明している形。 スターリンはプロジェクト全体がミチロウさんが「大人」である事に相当甘えていたのは確かだ。 ミチロウにとって「STALIN」は「仕事」だったという意味。なら事情を知らない受け手に、
「驚き」を与えることが出来なかったのも道理と考え。コンピュータシステムの仕事でも、最後に頼りになるのは「人のやる気」なので、思いを直に反映できる芸術の仕事では、 不和や不信さえ込めて成功した『虫』という好例があり。 「ミチロウが教わる」状況があれば、「驚き」のあるアルバムを作れたという想像を持つ。もちろん、 音楽に関しては文句を言われたくないはずだから、歴史や科学を勉強していたら。名曲であっても、 「文系の思考」という紋切り型が有効なのか、長い視野や理論に基づく詞では無し。ならば、 「近代科学以降の時代の終わり」を「STALIN」の主題にすべきだったと結果論。
参考:人のケツ見て24年
ツイッター:大塩高志
[2538stalin.txt]
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