|
昨日に続いて『音楽の泉』を聴いているときに思いついた音楽ネタ。日曜朝の左記の番組は、
モーツァルトやベートーヴェンが多いクラッシック音楽をかける番組。しかし前者は宮廷音楽家だが、 『ららら♪クラシック』で石田衣良が説明したように、後者の音楽は当時のロックだったと私も思う。 つまり古典と言える年月を経ても未だに斬新なビートルズでも、「懐かしい音楽」になる時が来る。 つまりロックという形態さえ(大衆)音楽史で定義され、愛好家の音楽になる一方で、 伝統音楽として確立すると考えられ。当然日曜朝にかけられるほど「のどか」を認識されるはずだが、 歌を省いた形式が想定でき。というのも健全な精神の育成には不必要な表現とみなされれば、 英米でも日本でも「ロックの清浄運動」が国家と民間によって勃興するはずで。 高度情報社会が続いていれば防止できるが、インターネットが国に管理されて個人の情報発信が、 制約されれば、歴史の消去/抹殺ができるはず。残る手段は印刷物ですが、ネット販売を禁止し、 大手の取次で扱うことを禁止すれば、情報は残っても大衆の共有は防げることに。ということで、 情報が分断されて一世代も経てば、公共で説明されるロックの歴史は「安全」な解説へ。 「宇宙世紀」になれば情報を退避できるので、実際の展開を記録しようという運動が発生すると、 私は想像を。さらに太陽系に留まっていれば歴史を共有できると想定。しかし太陽系外へ、 旅立つ手段が獲得した場合、「旅人」は人類の歴史を抹殺することも想像し。といっても人は、 「神話」を必要とする生き物と考えるので、特定のバンドを神と崇めることもありえ。 「神」というアルバムもあったし、クイーンは神がかっていたバンド。しかしオチを付けるなら、 人類と地球と太陽系を見捨てても、思い出としては遺すと思うのですね。長い時間をかけ、 「実は地球」に到着したとき、両者の出会いの意味は…。 [2821rock future.txt] |
ロック
[ リスト ]



