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昨日の朝日新聞で、米国のショッピングモールの閉鎖が続いている記事を読みました。もちろん、
アマゾンを筆頭とするインターネット店舗の隆盛が理由ですが、高級志向のモールの方は商売が、
安定しているらしく。千人単位の労働者が失業する「事件」のはずだけど、建設当初は庶民にとって、
「身近な夢」を見させてくれる場だったと推察。つまり米国の大衆は夢より便利を選択したと。
しかし歓迎された一方で建設当初、各地で反対運動が起こったはず。日本でも商店街の有志が、
大店法の規制緩和に反対していたらしいから。しかし米国でも大企業に有利な法律により、
消費者としての「大衆」を創造したと憶測でき。でも企業の撤退は資本主義では自由だから、
自動車産業でかつて栄えたデトロイトのように自治体の財政は不安定になり得る。
だから商店街の存続で治安の安定すると思うが、ショッピングモールが大衆に歓迎されたのは、
面倒なことを買い手としての自分は拒否できたからと考えられ。収穫・生産・流通の外部委託が、
ショッピングモールと定義できるわけ。しかし撤退した後は巨大な「空洞」だろうから、
外部委託していた労働を習熟するには時間が必要。また知った怠惰は続けたいだろうし。
なのでショッピングモールの建設当初で考えると、古さより新しさが魅力に思え新鮮を良しとする、
大衆の蒙昧があるという論理が考えられ。しかし新しいことは未知であり古いものは既知なので、
比較検討すれば安全な方を人間は選ぶはずであり。つまり商店街の存続に必要だったのは、
生産者の情報であり、町の歴史だったと思って。
現在の高度情報社会は各分野の最初の知識の入手には有効と思うけど、情報量が多い大企業にも、
有利という状況なのですね。しかし大企業は企業名での商売が狙いなので、市民が抵抗するには、
実際の人付き合いが要るという考え。ショッピングモールでも高級志向が健在なのは品物の値段で、
品質保証することに成功していると考えるため。つまり「顔が見えている」ことに。
[3098shopping mall.txt]
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