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ミチロウの囀りを常々見ている人には既報と思ったので、昨日の吉田豪との対談はブログでも、
私からの宣伝を避けました。回線が不通になるのも嫌だったし。実はつい忘れて十数分ほど遅れて、
視聴したのです。対談としては吉田がミチロウを好き過ぎるのか、母親との関係を聴いた時の応えが、
一番面白く。訊いたら失礼になると思ったか、バンド活動に関しては詳細は回避したみたい。
例えば「〈ザ抜きのスターリン〉で目指したことは達成されたのか?」とか、結果として、
「売上げが低迷したことの自己分析は?」とか。というのも私は今から振り返って「スターリン」は、
バンドとしての音を一度「壊した」方が良かったと考えているので。『題名のない音楽会』が、
発送元で、一流の音が出せる音楽家は自分の形を壊すべきと、ジャズ奏者言った覚えがある。
だから「スターリン」という形式を獲得した遠藤ミチロウに、でたらめな演奏を私は期待を。そう、
私は「ザ抜き」の失敗の理由を(きつく言えば)「ウマヘタ」と考え。だから今回演奏の、
「オデッセイ・2016・セックス」(福島弁版)を聞いた時、驚いたとともに嬉しくなり。つまり、
先週の金曜日の私の記事に、既に応えていたと分ったから。
上記の記事で私は、
私がパンクの究極であり典型と定義する遠藤ミチロウですが、実は唯一「お国言葉の排除」という、 と指摘。しかし今回聴いた〈オデッセイ〉はミチロウのお国言葉による「うた」というもの。私は、
聴いた印象でも「凄さ」を認識したのですね。また女の人には「標準語」が受け、「福島弁」は、
嫌われるのも理解可能。前者は思春期の少年の問題であり発達学で考えれば、「当然のこと」を、
歌っただけという理解が可能に。しかし福島弁で歌うと、変態オヤジの弁解に聴こえるということ。
連想するのは自分の父親や会社の上司があり得るけど、「いい年して性欲があるのか!」と憤慨の、
対象と私は推察。つまりお国言葉にしたことでミチロウは「社会人として隠すべき男の本音」を、
ばらせたと考えられるわけ。歌うことになったのは震災以降というからミチロウが出自の「東北」を、
自分で認識して利用するには「非日常」が必要だったと考えられ。
[3179michirou.txt]
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