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『アインシュタイン・ジャーナル』関連を優先したので考察をさぼったネタに、アイドル活動の女の子の、
傷害事件があります。荻上チキは自分の番組の「Session−22」でストーカー事件だとして、
アイドルの問題として語ることを批判していました。珍しく自分の意見を正しいと主張していましたが、
私自身は「現在の日本のアイドルの問題」という見方に与するのですね。
確かにストーカー問題は被害に遭われた方には深刻だけど、今「遭われた」と言い回したように、
確率から見れば日本の現状の課題としては小さい問題と私には考えられ。しかし問題は小さいうちに、
除去するのが容易という見方もできるので、警察は本来は機敏に対応できると私は考える。一方で、
アイドル商売として今回の傷害事件を考察すると、「偶像の扱い方」という問題があったと私は考え。
今も昏睡状態の女の子への批判は私も回避。だが被害者となった女の子を「人身御供」として、
現在の日本の「アイドル(=偶像)」の危険をアイドル自身も芸能事務所も一般大衆も考えるべきと思う。
まず偶像とは「仮面」であり(社会における)役割であるということ。もちろん「子供」といえる時期以降、
「大人」は全員「仮面を被っている」と理解でき。しかしアイドルは他者から(直接の)の支持が要る存在。
例えばコンピュータのソフトウェアなら市販品の場合は、開発者の利用者は分離の状況に満足。で、
企業が直接ソフトウェア会社に受注する場合、企業同士の取引のため(双方が)悪態をつくことがあれ、
感情移入が不要な作業であり。一方でアイドル以外に芸能界で仕事をする人間は自分の存在自体が、
商売道具というもの。しかし「本音」を表現できる時もあっても、「自分の全て」の表現は無理で。
しかしファンはアイドルに、出会った(見つけた)頃の偶像を求め勝ち。だからマンガは『ドラえもん』、
『こちら葛飾区亀有公園前派出所』、『ちびまる子ちゃん』など、「時間が停止した」作品が存在し。が、
大衆消費社会の偶像であるアイドルは生身の人間なので、個人としての好き嫌いを持つ。しかし一方、
ライヴなどの「祝祭空間」ではファンに「全幅の信頼」を求めることに。
つまりファンにしてみれば信頼を求められた以上、「我われ」もアイドルに信頼を求めていいと、
日常で考えれば歪んだ情緒が生まれるのでは。信頼は自分の活動て生じる他者の反応と考えるから。
とすると現代の日本のアイドルは「親密」か「拡大」の二者択一を迫られる存在と私は理解を。つまり、
(殆どの)日本の芸能人に自らの「マネジメント」が求められているという意味。
[3393idol.txt]
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