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モハメッド・アリの生涯の概略を知って面白いと思ったのは、アルベルト・アインシュタインとの、
相違と相似を比較できるから。二人とも民主主義を信じ市民社会の確立を望んだ偉人と考える。で、
アリはベトナム戦争に良心的兵役拒否し、アインシュタインはベルギー侵攻への批判声明に、
署名したことが(本人にとっては)似た位置づけと推測できる。
今年のブログ記事で掲載する範囲だけど、世間では無名の学者でした。特殊相対論や光量子論で、
当時の一流が認めた一流の物理学者と遇されていたけど、世間がアインシュタインを「発見」したのは、
光の曲がりの観測結果の一般紙での報道以後。再三の指摘ですが第一次大戦(当時はGreat War)後、
戦争に関わった国家(主に欧州)の大衆/民衆は戦争に疲労し、結果に悲嘆したらしく。
つまり当時の欧州の人間は「希望」が必要な精神状態で、旧世界を否定して一般相対性理論という、
新しい認識を提示したアインシュタインを戦後世界の象徴にしたと推測でき。つまりアリは知られた後、
然るべき時点で責任ある行動をとった一方、アインシュタインが有名人になったのは偶然であり。そう、
やはりブログ記事にするけど、日食観測が一九一四年だったなら、物理学者の偶像は避けられたはず。
実は第一次大戦が始まる年の計画に、クリミア半島での日食観測を自分で立案したのですね。で、
頓挫の理由は「お楽しみ」とするが、観測に成功していたら当時の一般相対論の理論値との誤差が、
生じたはずで。つまり理論として未完成だったわけで、エディントンの遠征隊が二回目として実現しても、
実際の歴史のような「衝撃」は喪失した報道になったと推測が可能。
アインシュタイン自身は有名人としての自分の立場を(当初は)遠慮したいと思っていたようで、
戦争によって観測に失敗したフロイントリッヒを、恨んだと理解できる記述があるみたい。とはいっても、
無名の頃にドイツ軍を批判した(出来た)「実績」によって(多分)自分の発言の責任を認識して以降、
ワイマール共和制の擁護のために活動したと私は推測を。
実際有名人になる直にも前、革命のさなかに学生を連れ立って校長に掛け合ったことも。つまり、
政情が不安定な時分でも民主主義をベルリン大学の教職員と学生双方に提示できた、一流の学者が、
政治でも画期の役割を果たせた出来事と考えられ。是非とも物語として提示したいと考えますが、
驚くのは追悼の言葉もアリと似ていること。
アリは正に人種差別と戦った偉人なので理解できるけど、本来は科学者を追悼する言葉としては、
大袈裟で仰々しいというのが私の見方というもの。
以下はニールス・ボーアの追悼文。
「アルベルト・アインシュタインの仕事によって、われわれの世界像が以前には夢想もしなかった統一と調和を獲得したのと同時に、人類の地平は測り知れないほど広がった。このような業績の背景は、世界規模の科学者共同体の先行する世代によって作られ、その充分な成果はきたるべき世代に現れるであろう。 [3414ijin.txt]
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文化談義
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