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 観た直後は私も敬意を表した記事を上げたけど、賛辞の評論を多数読むと捻くれ者の私は、
(多分)批判や否定する方が(僅かでも)ブログの界隈では考えたのでした。というより鑑賞中も、
                                  目立つと
凄く面白いと思ったものの、他の鑑賞者に散見される「声援を送りたかった」という意見は最後まで、
発想外の言説。劇中人物が頑張るほど、観客の私は阻害されていると思ったと自分で推測。

 しかし批判の取っ掛かりは『シン・ゴジラ』は日本の政治と行政の問題と鑑賞中に理解した後、
政治はやまとことばでは「まつりごと」と思い出してから。すると押井守の「うる星2」との類似を、
気付き。押井は二作目の『うる星やつら』の映画で「るーみっくわーるど」は「永遠の文化祭前日」と、
定義したけど、今回、庵野秀明はゴジラ映画を「日本のまつり」と定義したと気付いた次第。

 上に言及した押井の出世作『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』に関しては、
以前に面白く読んだ評論があり。



 押井守の出世作といえば『うる星やつら』、とくにそれの劇場版第二弾『ビューティフル・ドリーマー』だと思うのだが、これが俺には評判になるほどの作品だとはどうしても思えなかったのである。
 話のキモであるところの、「文化祭の準備って楽しいね。永遠につづけばね」という“気分”がまったく理解できなかったのが大きいだろう。
 理解できないなら理解できないなりに、「理解できない他者としての押井」がどこかで出てくれば、まだ納得もいったのだが、これがこの作品では最悪の構造をしてしまっているのだ。

 「文化祭の準備って楽しいね。永遠につづけばね」というのが、モテない男の悲しい願望であれば、そういう設定であれば、まだよかったのだ。
 しかしご存じのとおり、「モテない男の悲しい願望」を、なぜかよりにもよって、狩猟中のモテ系女子であるヒロインに担わせしまっていた。当時観たときはもちろんこんなに分析的に欠点を理解していたわけではない。しかし直観的に「これはないよね」と思ったものだ。


(中略)

 「文化祭の準備って楽しいね。永遠につづけばね」というのは、あまりにも“特殊な感情”なのだ。普遍性のある感情ではない。
 それはそれでいい。そういう自分の“特殊な”世界観で勝負したい、というのなら、勝負すればいい。問題はそれが“特殊”だ、普遍性がない、ということを、自覚したうえでの処理を、押井守がまったくしていない点なのだ。
 自分の特殊さ、偏向を自覚しつつ、普遍性とのつながりのなかで、自己表現をしていく、という作家としてのしたたかさとしなやかさがまったく感じないのだ。
 だから俺は押井守が苦手だし、「理解できない他者」としても、あまり尊敬する気にはなれない。


 私は実はフィルムコミックで「体験」した一人ですが、私自身が「モテない男」の一人だったためか、
結構面白く読んだ覚え。だから上に引用した評論を読んだ当時、面白い味方と思ったものの、
                                            見方
同意は回避と自分で推測し。しかし立派な日本人の大人(≒男)が多数登場する『シン・ゴジラ』で、
押井守は苦手だの書き手のshiwasu5の気持ちを理解し納得を。

 つまり立派な大人が立派なことをして称賛されるのは当然であり、「庶民の一発逆転」という、
「大衆の夢」を否定した映画と気付いたのですね。しかし「夢」といえば昨日の宮台の解説の前に、
(両方の意味で)「為政者の夢」とも気付いていて。つまりゴジラ退治により日本の全ての問題は、
帳消しになると気付いたということ。つまり日本人の破壊願望を体現したゴジラという意味。

 しかし「ゴジラを望む」日本人の心理は「ゴジラ」に勝っても負けても、日本人の欠陥の表れと、
私には考えられ。勝てば今の体制の肯定だし、負けても新しい思想を持てるか私は疑問。実際、
今回も「“ゴジラ”と付き合い続ける(必要がある)」以外、つまり「ゴジラを持つ思想」の、
提出は避けたと私は考える。つまり『シン・ゴジラ』は私にとって、挑戦すべき目標。

[3514godzilla.txt]

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閉じる コメント(5)

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拝読させていただきました。

「ゴジラ」が何者なのか、興味深い問題ですね。政治的なメッセージを見出していいのかどうか。

>勝てば今の体制の肯定だし、負けても新しい思想を持てるか私は疑問。

という発想にはハッとさせられました。
大塩さんのご指摘のとおりだとしたら、現実の日本人は「ゴジラ」と付き合い続けること(姿勢)こそが大事なのでしょうね。現実には「ゴジラ」は退治できないのですから。 削除

2016/8/15(月) 午前 4:46 [ shiwasu5 ] 返信する

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> shiwasu5さん 前略 私は捻くれ者だから「人智による解決」で(一応は)終わる『シン・ゴジラ』より、「奇跡による救済」で作劇を逃げた(失敗した)富野由悠季の「逆襲のシャア」の方が好みなのです。草々

2016/8/15(月) 午後 9:56 [ 大塩高志 ] 返信する

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話が脱線しますが、なるほど、『逆襲のシャア』の奇跡オチをそのように解釈するのは新鮮な視点でした。言われてみれば、『逆襲のシャア』はなにひとつ“解決”してないんですね。人類の危機はそのままなわけです。富野らしいといえば富野らしいですね。 削除

2016/8/16(火) 午前 3:04 [ shiwasu5 ] 返信する

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『シン・ゴジラ』、鑑賞しました。正直まったく面白くなかったですね。政府が頑張る話ですが「だからどうした」という感想以外抱けませんでした(笑)。『ビューティフル・ドリーマー』とはクオリティが違うんじゃないですか。『シン・ゴジラ』は『ビューティフル・ドリーマー』のように良かれ悪しかれ語り継がれるようなことはない気がします。福島第一原発事故のときのように「自分だけ逃げる」奴がいないのも不満でしたね。「軍が真っ先に逃げ出しているのか」という台詞が『F91』にありましたが、そういう物語展開の方が俺の好みですね。満州なんかそうだったみたいですね。 削除

2017/4/1(土) 午前 8:57 [ shiwasu5 ] 返信する

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> shiwasu5さん 前略 海外の評判を散見すると、結局「子供の(ための)映画」だったと理解でき。とすると小松左京が『日本沈没』で渡老人に言わせた「日本人は大人の民族にならなければいかん」という台詞が思い出される。つまり『シン・ゴジラ』を観て喜んだ/評価した一定規模の日本人は子供であり、阻害されていると思ったり面白くないという評価になった私や貴方という大人の日本人の(思想としての)批判対象と理解するのでした。
「F91」は貴方が指摘してくれた一点だけでも凄いと思いますが、私は科学者の伝記を読んで、行政機関としての国家は愛国者を(あるいは「も」)裏切ると分かったのです。しかし日本人は(私も含むけど)国家権力に対する認識が甘すぎであり。草々

2017/4/1(土) 午後 11:20 [ 大塩高志 ] 返信する

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