科学談義

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 科学者と国家、政治の関係は「アインシュタインがいたドイツ」は格好の題材になると思う。まず、
ボヘミアンを公言し、十八年半以上生活したドイツを去ってアメリカに居を移したアインシュタインは、
伝記からの情報から「1914年の災難、失敗以前」は政治を敬遠していたと推測でき。だから、
「93人の 知識人宣言」への反対声明を出せたのは自分の日食観測計画の頓挫が理由と考えられ。

 プランクやヒルベルトは旧来の秩序を信頼していたみたい。もっともヒルベルトは論理への忠誠から、
結果として第一次大戦開戦の時点で出されたアインシュタインが反対した声明に対し、結果として、
批判することが出来た。でも人間集団を統治する政治という手段、機構に対する認識に欠いたらしく、
1933年のヒトラー政権の誕生を「論理での理解」に失敗したらしく。

 一方政治を知っていたらしいプランクは上記の宣言の失敗に懲りて、政治の態度を明かすことに、
1月30日にヒトラーが首相になった後も避けたみたいで。もっともアインシュタインが尽後力した、
(ドイツの)民主主義を当初から疑っていたらしいです。とはいえ他の右派と違い大人なので、
直接意見したり公言するのは回避。だからこそ共和政最後の年にアインシュタイン擁護も避けた形。

 他の「先輩」科学者のハーバーは読んだ伝記の主人公の中では一番政治への出世欲があったと、
私は理解を。多分国家、体制としてのドイツの為というより、ユダヤ人(の存在)を体制側に、
認めさせるため(だった)と推測できる。ただ頑張りすぎるほどの行動と指導のため、
国家に都合よく使われたのが第一次大戦での毒ガス開発。

 アインシュタインと思想信条が殆ど同じなのは一時ベルリン大学で同僚になり、ゲッティンゲンで、
教職に就いたボルン。しかしアインシュタインとの往復書簡を読む限り、思考と現状認識では、
アインシュタインの方が鋭いと私は理解し。でもハーバーが決断が遅くてイギリスの寒さに死んだ一方、
ボルンは追放者一覧に記される以前にナチス批判をしたと、ヒルベルトが主人公の伝記にあり。

 マイトナーとハーンに関しては、マイトナーがワイマール共和国を女友達に手紙で伝えた一方、
ハーンの伝記にも1932年までは政治発言はあったっけという程度。ナチスが政権に就いた直後、
アメリカに渡航する程度の政治に対する認識具合に。帰国直後にプランクに直談判するも「無駄」と、
言われると意気消沈へ。

 アインシュタインと同じようにプランクがベルリンに呼び寄せたシュレーディンガーは生粋の、
オーストリア人の科学者。実は上記のマイトナーはオーストリア人でもユダヤ系なのでオーストリアが、
ドイツ軍に占領された後、追放の対象の「ドイツ系ユダヤ人」という立場。だがシュレーディンガーは、
「安全な人種」なのに亡命を逡巡するユダヤ人がいるのを聞き、自分が亡命すると申し出るのですよ。

 伝記から政治活動を避けてたと推察できるシュレーディンガーですが、政府や国家に対し、
当てにするのは危険と知ったのが二重帝国の消滅というもの。第一次大戦中はウィーンに職を得てたが、
終わる前にチェルノヴィッツ大学から助教授の話が。でも敗戦でオーストリア=ハンガリー二重帝国は、
解体されてWikipediaによるとチェルノヴィッツはルーマニア王国に譲渡されるところ。
[3765germany scientist.txt]

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大塩高志
大塩高志
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