|
ネオジオン(軍)もロンドベルも理想に失敗した組織。一つはシャア、片方はアムロと特定の個人に、
頼っている点があげられる。シャアに関しては象徴で偶像であり、シャアの元に集まった官僚や企業は、
有能と憶測可能。しかしアムロは恐らく作戦立案、戦闘の現場の指示で劇中描写より多大な貢献を、
したと私は憶測を。ブライトの役割は後衛からの状況判断の筈。
簡単に言えば二つの組織とも一人の最重要の人間が欠けただけで実は崩壊。ネオジオンもシャアが、
アクシズで戦死した第二次ネオジオン抗争以後、穏健な共和政に移行した筈で。だがシャアとアムロ、
他にも人格が明確に定義された本作の登場人物全員、屈託があったり持たされた。だから私は、
「現状の突破に失敗した物語」と考え。しかし一年戦争のアムロは本来のトリックスターと推察。
テレビシリーズはフラットキャラクター、映画三部作では教養小説なので分かりづらいが、
一年戦争終盤に連邦軍のエースパイロットとして活躍したアムロ・レイは、伝記作家や歴史家、
さらに同時代を生きた市民や庶民にとり、現状を混乱させて大事なことを気づかせる「まれびと」、
トリックスターだったと思われ。問題はまれびとの効力は短いこと。
考えてみればシャアでさえ士官学校を卒業するというエリートとして定型の経路。だがアムロは、
父親が開発した機体という有利さはあるが、ガンダムに初めて乗ってザク三機を撃破。もっとも、
以後はガンダムの頑丈さに助けられた場面もあるがデビューが鮮烈だったから、シャアでさえ慎重に、
戦い過ぎたと憶測。でもグリプス戦役でも「一年戦争のアムロ」を求めるシャアは贅沢であり。
まれびとが居付く、アムロなら連邦軍で正式な地位を得れば、貴種流離譚の主人公の資格を逸し、
同時に神秘さも失墜し。だから逆襲のシャアは軍人同士の普通の、当たり前の戦争(戦闘)映画に、
なったと考えるのですよ。だから血祭りという名でもまつりという特質は失われ、戦闘が原因の確執、
不和、陰鬱、悲嘆の物語になったと思うのですね。 [3998new gundam.txt]
|

- >
- エンターテインメント
- >
- 映画
- >
- 映画レビュー



