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ちょくちょく覗いているトーノZEROというサイトで、興味を引く記事を見つけました。
面白いだけなら通常通り楽しく読むだけですが、実はトーノ氏の問題提起について私は二つ、
ヤマトとオタク文化の関係を解釈できる事例を知っていて。一つは科学者の伝記を読んで理解した、
「法則」ですが、今日はもう一つの日本のパンクロック(史)の(本来の意味の)さわり。パンクは、
始めニューヨークで起こり、ロンドンで周知・確立された「表現」。
日本では両国のパンクとともにニューウェーブの影響も受け、1970年代終わりの数年で、
以下のバンドが結成。
THE STAR CLUB(1977年)
ミラーズ (バンド)(1977年)
LIZARD(1977年 ※一枚目)
ミスター・カイト(1977年秋)
アナーキー (バンド)(1978年)
8 1/2 (バンド)(1978年)
フリクション (バンド)(1978年)
INU(1979年)
P-MODEL(1979年1月1日)
JAGATARA(1979年3月)
ルースターズ(1979年11月)
バンドを見繕ったが、当時の勃興期を土台にして一つのバンドが世間の話題をさらった形。
ザ・スターリン(1980年)
実際、
1981
報道したし。ミチロウの戦略に抵抗できたのは派手さで競り合ったJAGATARA、犬猿の仲と云われた、
アナーキー、テクノポップで難を逃れたP-MODELだけかも。もちろん上記で80年代でもライヴで、
集客できたバンドはあるが、日本パンクの偶像・象徴は「遠藤ミチロウ」に。
裸になったり逸物をなめさせたり臓物を投げたりでミチロウは日本の、あるいは日本における、
パンクロックを定義してしまったのですね。だから後続のパンクバンドがえらく迷惑したという話が、
存在を。ところで時の人は感謝の念から自分が影響された人や先駆者を紹介する。ミチロウの場合は、
「頭脳警察(1970年)」のこと。
銃をとれ STOP JAP 上が頭脳警察、下がザ・スターリンですが、今なら「反日」と定義できる違う言語表現と気づき、
驚いたのですよ。調べると頭脳警察の(第一期)活動期は70年代の学生運動で、過激派とも交流し、
成田空港闘争に日本幻野祭という形で参画。80年代に再発されたレコードを聴いたすべての若者が、
多分、「ニューヨークパンク以前に東京パンクがあったのか!」と思ったと推察。
先行者と後継者の間の(歴史上の)断絶と(創作姿勢の)連続を考察したい欲を生む。話をパンクに、
戻せばザ・スターリンの85年1月の解散コンサート以後に次世代のTHE WILLARDやLAUGHIN' NOSE、
有頂天などが相争って「インディーズ」を発展させ。
年長のアニメファンには周知の通り『機動戦士ガンダム』には多くの追従(者・作品)を出したが、
追記できる限度というもの。ヤマトに至っては同時期、あるいは直後に話題になった作品は、
『宇宙海賊キャプテンハーロック』と『銀河鉄道999』くらいと私には思われ。
つまり「ヤマトの時代」のアニメブームは松本アニメブームであり「オタク文化の始祖」の見方を、
否定してもいいんだけど、「ヤマトシリーズ」の物語、メカ、背景美術にはオタクを志向する要素が、
たっぷり保有。村八分、頭脳警察、外道が「パンク以前のパンク」と定義できるのと殆ど同じ意味。
[4109panta michirou.txt]
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