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森友問題の核心を内閣人事局と定義する主に左側の言説に対して敢えて意見するならば、
民主党政権による官僚政治打破の失敗から制定された組織だった筈。つまり内閣人事局の否定は即、
役人の人事を官僚自身に任すことを意味。だから民主党が出自の政党の内閣人事局批判は、
「役人の味方ですか?」とか、「官僚政治の打破が党是でしたよね」という批判やそしりを生む。
私も考察し、「付き合いの浅い人間による人事は組織にとって危険」と結論。もちろん組織防衛や、
既得権維持を志向し勝ちという悪癖は想定できるけど、官邸の人間の好みによる差配よりはましと、
今回のウソの情報による国会審議で分かりました。正に禅宗にいう公案で、安直に考えれば、
「問題設定現今から逸らす」となる。つまり青雲の心で役人になった当時を思い出してもらう。
さらに行政は人間が気持ちよく生活するための人間同士の規則の執行だけど、人間の考えなので、
「間違い」はあると役人に理解してもらう必要があり。役人は言葉本来の意味の保守主義者だから、
当然嫌がるが、国民に対して「分断による支配」より「信頼による自治」を当てにすべきと思って。
「空気」に支配され易い日本人は、反抗や反発の程度は他国と違って可愛いものと思うから。
おー、お前をそのまま 作詞 遠藤ミチロウ
作曲 THE STALIN
[4113kanryou seiji.txt]
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すると日本では「ノンフィクション作家」は松本清張から始まったらしい。二・二六事件と、
五・一五事件との違いは『226』を観る前から知ってたけど、なるほど天皇の描写を避けた分、
映画は本来扱える物語を、大幅に逃したと理解でき。しかし驚くのは社会問題の提示のための著作は、
今は聞き書き取材が大前提だが、清張の時代は違ったらしいこと。
当時は今でいう資料・史料の読み込みで、ということは市民・庶民の生活や情緒は排除され勝ちと、
推察される。しかし清張は感情の機微を捉える作家の才能を利用して、つまり当時存命だった、
二・二六事件の当事者や体験者から聞き出した話を存分に活用して、『昭和史発掘』を書いたという。
狂気と執念と想像の賜物の作品と察し、今こそ映像にすべきと思いました。
単純に云えば当時制作されるべきだった二・二六事件の映画には足掛け六十四年の昭和時代の、
「定義」が必要だったという意味。四日間の内にクーデターに至った遠因と直接の原因を描写し、
クーデター後の不穏な時代を想像させられれば、映画史に残るとともに後世への贈り物になり。そう、
昭和という時代を考察・研究するための格好の取っ掛かりになる筈で。
[4112shouwashi hakkutsu.txt]
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今日のネタを思案してたところ、以下の吃驚した記事を発見。
読むと、おときた駿東京都議会議員は賛成するんだって。まさに「おときた、お前もか!」で、
「絶望した!」と市民社会か大事と思う人間は叫ぶべき案件というもの。警察の言うことだけ聞いて、
国民を窮地に陥れる愚者の典型例と言い切る。おときたは以下の見解から賛成したと言うが、
「敢えて言う、馬鹿であると」。
濫用するつもりなら、今の条例内容でとっくにデモは規制されている 警察権力は狡猾だよ? 虎視眈々と「我が世の春」の「時」を狙ってると決めつけるべき。だから、
以下の認識は権力(者)への理解を全く欠いた、議員にするには恐るべき(凡庸)の人間の証拠。
慎重派・反対派の方が言うような目的があるのならば、改正案で追加される「みだりにうろつく」よりも、「立ちふさがり」や「押し掛け」の方がデモを規制できそうです。 今までが無難なことが今後も無事と想定できるとは、私は笑う。図示した想定よりも重要なのは、
正に条文だから。条文から市民社会の危険が想定できるなら、反対するのが議員の務め。だから、
以下の理解は凡庸な市民の証なので、次の都議会議員選挙では北区の他の候補者に投票してね。
他の16道府県でも類似条例がすでにあり、条例の濫用は行なわれていない [4252]迷惑防止条例の未来[4111kyoubouzai.txt]
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読んだ順は以下の通り。
③(3月21日)審議は1回 小池都知事が密かに急ぐ“デモ封じ条例”の中身
④(3月21日)東京都迷惑防止条例改正に反対する意見書
さすが卑怯で狡猾な日本の国家権力。「違法ダウンロード処罰法案」が国会で話題になった頃から、
日本の行政、特に警察は(高度)情報社会を敵視していると私は見なしてました。だから今回、
弁護士なら容易く「報道や市民活動の制限」の意思に気付ける条例が都議会に提出されても、
「やっぱり」や「またか」と思ったのですね。だから私は権力の悪意を憶測した記事を公表。
「監視していると告げること」は報道機関に対する牽制、「みだりにうろつくこと」はデモの排除、
「名誉を害する事項を告げ、その知り得る状態に置くこと」は抗議への委縮を各々狙ったとする、
自由法曹団の見方を私も同意。汚い語句を使って、さも市民のためを装っているけど条文の論理を、
想定できる現場から考えれば、警察が自由に利活用できる条例と私にもわかる。
市民社会を崩壊させる条例と私は考えて小池都知事はリコール対象とも思うが、審議一回だけとは、
急すぎ。ならば私が時たま述べる奥の手、条例に批判する都議員は即刻議会に辞表を提出すれば?
東京都民は吃驚して、一時でも市民生活の大切さを気付くはず。
[4110kyoubouzai.txt]
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ちょくちょく覗いているトーノZEROというサイトで、興味を引く記事を見つけました。
面白いだけなら通常通り楽しく読むだけですが、実はトーノ氏の問題提起について私は二つ、
ヤマトとオタク文化の関係を解釈できる事例を知っていて。一つは科学者の伝記を読んで理解した、
「法則」ですが、今日はもう一つの日本のパンクロック(史)の(本来の意味の)さわり。パンクは、
始めニューヨークで起こり、ロンドンで周知・確立された「表現」。
日本では両国のパンクとともにニューウェーブの影響も受け、1970年代終わりの数年で、
以下のバンドが結成。
THE STAR CLUB(1977年)
ミラーズ (バンド)(1977年)
LIZARD(1977年 ※一枚目)
ミスター・カイト(1977年秋)
アナーキー (バンド)(1978年)
8 1/2 (バンド)(1978年)
フリクション (バンド)(1978年)
INU(1979年)
P-MODEL(1979年1月1日)
JAGATARA(1979年3月)
ルースターズ(1979年11月)
バンドを見繕ったが、当時の勃興期を土台にして一つのバンドが世間の話題をさらった形。
ザ・スターリン(1980年)
実際、
1981
報道したし。ミチロウの戦略に抵抗できたのは派手さで競り合ったJAGATARA、犬猿の仲と云われた、
アナーキー、テクノポップで難を逃れたP-MODELだけかも。もちろん上記で80年代でもライヴで、
集客できたバンドはあるが、日本パンクの偶像・象徴は「遠藤ミチロウ」に。
裸になったり逸物をなめさせたり臓物を投げたりでミチロウは日本の、あるいは日本における、
パンクロックを定義してしまったのですね。だから後続のパンクバンドがえらく迷惑したという話が、
存在を。ところで時の人は感謝の念から自分が影響された人や先駆者を紹介する。ミチロウの場合は、
「頭脳警察(1970年)」のこと。
銃をとれ STOP JAP 上が頭脳警察、下がザ・スターリンですが、今なら「反日」と定義できる違う言語表現と気づき、
驚いたのですよ。調べると頭脳警察の(第一期)活動期は70年代の学生運動で、過激派とも交流し、
成田空港闘争に日本幻野祭という形で参画。80年代に再発されたレコードを聴いたすべての若者が、
多分、「ニューヨークパンク以前に東京パンクがあったのか!」と思ったと推察。
先行者と後継者の間の(歴史上の)断絶と(創作姿勢の)連続を考察したい欲を生む。話をパンクに、
戻せばザ・スターリンの85年1月の解散コンサート以後に次世代のTHE WILLARDやLAUGHIN' NOSE、
有頂天などが相争って「インディーズ」を発展させ。
年長のアニメファンには周知の通り『機動戦士ガンダム』には多くの追従(者・作品)を出したが、
追記できる限度というもの。ヤマトに至っては同時期、あるいは直後に話題になった作品は、
『宇宙海賊キャプテンハーロック』と『銀河鉄道999』くらいと私には思われ。
つまり「ヤマトの時代」のアニメブームは松本アニメブームであり「オタク文化の始祖」の見方を、
否定してもいいんだけど、「ヤマトシリーズ」の物語、メカ、背景美術にはオタクを志向する要素が、
たっぷり保有。村八分、頭脳警察、外道が「パンク以前のパンク」と定義できるのと殆ど同じ意味。
[4109panta michirou.txt]
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