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五月(ボーア、科学者の義務と責任)
ボーア
 しかし最後には重要な進歩を報告できた。水素原子を磁場に入れて線が三本に分かれるゼーマン効果を説明できた。また周期律表の原子群に対応する軌道系をまとめようとした。非常にむずかしかったが見込がたった。イギリスの出版も制限されてきたため、デンマークの王立協会の報告に出そうかとラザフォードに言った。十二月までに十分手を入れたが、翌年の一九一八年五月になっても第一章ができなかった。論文を上げること以上に苦しい仕事はなかった。
 第一章をやはりイギリスに送った。

 五月には次男ハンスが生まれラザフォードに報告するとともに、長男が父親の書類の間に入りたがる様子を知らせ、写真を送った。
 ボーアはいつも子どもを可愛がった。夫婦はおもちゃの車を買いに言った。マルグレーテは比較的あっさりしたのを望んだが、夫は優美な馬車のように見えるのを望んだ。言い争ったが結局マルグレーテが折れた。しばらく後にハラルドがあったとき兄は憂うつな顔。気に入らなかったのかとたずねた弟に、「譲歩するのがいやだっただけで、話し合いで確信ある理解に達したかった」。
『ニールス・ボーア 世界を変えた科学者』

 一九一八年五月に(書き手のオスカー・クラインが)ボーアのもとへやってきた目的は、物理学を学ぶことであった。当時は助手のクラマースとの活潑な共同研究で一九一三年に自身が発表した原子理論の第一論文で示されていた研究プログラムを仕上げる作業を行っていた。そして大論文の第一部「スペクトル線の理論について」が王立デンマーク科学院報告に発表されたばかりであった。しかし忙しくあってもソルトーヴットの工科大学内での部屋やヘレラップの家、そして徒歩旅行で熱中して話してくれた。とくに一九一八年の夏ジーランの北部の長距離の徒歩旅行を思い出す。ボーア自身の父親の考えについて話したことがとくに印象深い。生物の行動を記述するとき、目的論が因果律と同等な観点になりうるだろうということであった。後に自然を記述するさいの生物学者と物理学者の記述様式の間の関係に光を投じようとするボーアにとって、本質的な役割になった。

 いくらか似たことが意志の問題をめぐる議論についてもいえるだろう。ボーアは、意識の中に特異点を形成することを悟らないで、医師とか目的という言葉を別の意味に無意識に変えることの危険を非常に強調した。後に発展してボーアの認識論の基礎となったのは、ずっと後にプランクの学位取得五十年記念号に寄稿された論文にのべられている通りである。
『ニールス・ボーア その友と同僚よりみた生涯と業績』

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大塩高志
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