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背広の前を開けている肩幅の広い体躯、サングラスで眼の表情をかくす姿は逆光だったこともあり、怖さより不気味を思った。もっとも扉が閉まったあとは怒った顔つきのタッちゃんを見て、ふだんの態度になってた。
「いらっしゃい…ませ」
お客さんに対してでなく、鬼監督に対する「ふだん」だったけど。
「なんだよォ。練習は1時からじゃねえのかよ」
タッちゃんと南だけの店内。南も鬼監督が問題を起こすにはちょうどいいと思ってた。監督の相手が二人だけなら口止めできるから。当時の南はそこまで柏葉英二郎を否定してた。もちろん、タッちゃんにさえ言うことはなかったけど。
「ああ、そうだ」
じゃあ何の用と、南もいぶかる。
「ただの偶然だ。コーヒーを飲みに入っただけだ」
「さよけ」
「コーヒーですね、少々お待ちを!」
乱暴に水をおく南に、自分が招かるざる客とわかるはず。
「明青学園野球部OB、野球を心から愛し、人を思いやりまじめで一生懸命」
病室でタッちゃんが聞いたという、西尾監督の柏葉英二郎の評価。
「いったい誰のことなんでしょうね」
南が言いたかった台詞だけど、プロとしてコーヒー淹れは疎かにできない。
「はい、おまちど」
左手を腰に当てて睨みつけてやったけど、最低限のウェイトレスの仕事はした。でもカウンターに座ってくれて良かった。テーブルに運ぶまでの邪念の時間をもたずにすんだ。その時は気づかなかったけど、この点でも南とタッちゃんは鬼監督に負けてた。
「おまえ、双子だっそうだな。一昨年の予選大会の日に交通事故で死んだんだってな。できのいい弟のほうが」
正直、いつか言われると覚悟してた。予選大会だから全国的な知名度はなかったようだけど、将来を嘱望されていた上杉和也の死は、葬儀までのあいだ全国紙の東京版の紙面をにぎわせてた。
「成績はつねに学年トップ、一年生にしてエース。そいつさえいれば甲子園は決定的だったそうじゃないか」
さらに週刊誌やスポーツ雑誌などに若干の回顧記事があったようだから、当時でも大宅壮一文庫に行けば簡単に必要な情報が知れるはずだった。もちろんそんな図書館があるとは知らなかったけど、情報収集能力は私たち高校生より上と覚悟してた。
「あぶないとこだったな」
「あぶない?」
「甲子園なんぞにでられたら、それだけでもう全国的な有名人だ。ちょいと目立ちゃ卒業後の進路まで新聞が心配してくれる。おまえは一生、そのヒーローと比較されて生活しなければならなかったんだ」
南は「あんたに言われたくない!」と叫びそうだったけど、タッちゃんかいたからすんでのところで抑えてた。
「ところが今じゃ、日陰者だったおまえが明青のエースだ」
そこまで言われて黙ってる南じゃない。
「ちょっとォ」
「気は楽だよな、どんな負け方しようと美談好きの新聞が書きたてて世間の同情を買ってくれるからな。き弟の夢をうけついだ兄の、涙の力投ってわけだ」
そこまで言うかと、南も肩の力をぬくのに苦労した。タッちゃんの表情は、まったく見てない。
「南、コーヒー」
声をかけてくれてやっと見て、怒ってる顔でかえって安心してた。しかし、
「いいときに死んでくれたよな」
ぐんぐん押してくる鬼監督に、南は躊躇する。この怒りを正直に表現していいのか? 男同士の問題ならタッちゃんに任せるべきではないのか?
「ついてるぜ、おまえは」
タッちゃんが動いてやる気だと思ったけど、同時に(ボクシング部!)と想念してた。そしたら早い。一瞬の判断で柏葉英二郎の左頬をはたいたのです。タッちゃんも驚いたという。男同士の問題に割って入ること、そして南の他人に向ける怒りに。
「感謝してほしいわね。タッちゃんに本気で殴られたら大けがしてるわよ」
南自身、いつになく言葉もきついと自覚してた。
「いい判断だ。女に殴られたんじゃ人にはいえんからな。とりあえず暴力事件での出場辞退はまぬがれたな」
でも南も、忠告するのを忘れない。
「でも、二度目はタッちゃんにまかせますからね」
その場にいるタッちゃんへの信頼の告白だった。
「コーヒーうまかったぜ。じゃあな、練習に遅れるなよ」
お世辞を言う監督じゃないはず。そして最後のタッちゃんへの捨て台詞もいつになく優しい。南ははじめて、柏葉英二郎を魅力的と思えたことを覚えてる。
とりあえずお客を無事に帰すことができたけど、タッちゃんにも怒りのはけ口が必要だった。だから商売道具のお皿を一枚、生贄したのです。そのあとの掃除が少し大変だったけど。
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2017年11月25日
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