戦争も革命も全て奴等のコントロール 作詞 小山ユウ
原曲 黒人霊歌
また私からしたらずれた思考と思想の人が出てきた。もっとも私も以前は「人間の象徴」に疑問で、
天皇制にも論理を突き詰めれば否定の立場。しかし『冷戦終結25年 ヘイ・ジュード 自由への歌』を、
拝見して「運動には象徴が必要」と知り、結構絶望した覚えがある。しかも科学者の伝記から、
戦間期のドイツの知識を仕入れている最中だったので、余計に象徴問題は作劇で必要になって。
結局ナチスドイツが成立した原因の一つに、ワイマール共和政では逸した象徴の代わりだったと、
思い付き。少し細かいですが休戦したのはカイザー(皇帝)・ヴィルヘルム二世が亡命した翌日で、
ドイツ帝国臣民は革命に成功したのに「父殺害」の機会を失った形。つまり私は上記の二つの例で、
民主主義社会(国家)でも象徴、人身御供という例外の存在が必要と気付いたのです。
権威と権力を合一した一例がヒトラーのナチスと考えれば、上記の「奴等」はナチスでしょう。一方、
今日の渡辺治の主張のように以下の方針を取れば、日本国憲法第一条に基づく天皇(制)の権威は、
失墜すると思うのですよ。
私は公的行為は違憲だと考えるが、仮に認める場合は憲法に明記された国事行為以上の厳しい統制が必要だろう 日本国憲法 私は天皇が「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であ」り続けるためには、俗世間の政治に、
常に(行動で)意見し続ける必要があると思うため。
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2017年12月16日
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