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参考:<侵犯>の物語
敢えて名指ししますがAKB48以降の「秋元商法」に関しては、「こりゃ奴隷市だ」という、
shiwasu5さんの認識・理解に同意する一方、「ファンになってしまう日本の大人たち」の、
現状を察すると、絶望するのは禁物と思うのでした。今月で終わる「ウィークエンドシャッフル」で、
宇多丸が指摘してたと思うが、日本のアイドル歌手は分裂した存在だから、私は大人と定義。
立ち上げ当初でも途中加入の女の子も、アイドルになりたい理由はアイドルへの憧れのはず。が、
宇多丸がAKB48の「ドキュメント映画」で論じたように、少女たちはショービジネスで、
演ずる者として成長するはずで。簡単に言えば「Like A Virgin」。つまりアイドルの私の定義は、
子供を自覚の上でも卒業したのに子供を演じる(られる)人間のこと。
一方ジャンヌダルクは「アイドルをやった少女」と定義でき、上記の私の定義と矛盾する存在。が、
AKB48の「こりゃ奴隷市だ」という貴方の認識は、昭和の時代のあるドラマの若手男優たちの、
結末の「変奏」とも理解可能。ジーパンデカとかマカロニとか、『太陽にほえろ!』は若手俳優が、
芸能界でやっていくための登竜門だったが、卒業の形式は全員殉職。
当時はお約束と納得したけど『宇宙戦艦ヤマト2』で「若者は死んではならない」という、
松本零士の思想が実現したことを考え、今更人気刑事ドラマの若手俳優の(劇中での)使い捨てを、
奇異と思える。種明かしは立ち読みした『愛と暴力の戦後とその後』での赤坂真理の理解の引用で、
赤坂は本ドラマでの殉職をアジア・太平洋戦争での兵士の戦死の反復というのですね。
さらに追悼という意味も。ということは日本のロボットアニメで主人公が少年(少女)の理由も、
先の戦争の失敗を「子供たち」に尻拭いさせようとする「大人たち」のいい加減さ、付け回しの、
物語としての表現と理解できるのですよ。しかし以前から理解してたけど少年・少女が、
大人になった時、世界を人民のために行使できるか? 結局「ブライト」になるだけでは。
AKB48のファンは「(自分の)代わりに頑張ってくれる」姿に好意を持っているので、
「過程が大事」という『アインシュタイン・ジャーナル』の企画意図とも合致。ただし、
アルベルト・アインシュタインはドイツに民主主義を根付かせようと奮闘したものの、一九三三年、
ナチスが政権を獲った後、外国からナチスのドイツ批判を。だからドイツの同僚から批判され。
上記の経緯がナチスドイツが確立してしまった原因の一つとわたしは理解し。一方でAKB商法も、
過程を見せて成功しているが日本の芸能史に画期を残せるか、つまり百年後の日本の市民が、
AKB48というプロジェクトを知るか甚だ疑問という意味。
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