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宮崎駿自ら鋏を入れた版を一回、高校のLL教室で一回。さらにテレビ放送のノーカット版を、
二回観たはずだから、短縮版を入れて六回目の視聴になるのが『ルパン三世 カリオストロの城』。で、
「完璧な映画」と改めて思うのは、物語に(殆ど)必要な情報で構成された映画と思うから。例えば、
カリオストロ公国の臣民の生活実態は? クラリスの女友達もいるはずで。
しかしルパンと(子供時代の)クラリスの出会いが本作の実質の端緒で、二人の別れで終幕なので、
登場人物が物語に従属した映画と云える。でも本作のルパンは飽くまで宮崎駿のルパンと思うので、
以後の「ルパン三世」への過度の影響を考えると罪作りな「ルパン」と思う。『風の谷のナウシカ』は、
宮崎自身が次の課題として、主人公の活動範囲以外にも社会がある作品を求めた結果と推察。
しかし「ナウシカ」を論ずるのは避け、『花筐/HANAGATAMI』に話題を移す。正直言って、
「花筐」は物語っている話より、伝聞で話されている「外の状況」が重要な映画。つまりカリ城が、
劇を成り立たせている世界、社会の絶対安定が大前提なのに対し、「花筐」は映画の登場人物さえ、
「外部」からの影響を被ることを示した。私がまさにロックと評価した個所。
一方で『劇場版 マジンガーZ /INFINITY』は「歴史」を上手く使った映画と考えられ。そう、
テレビで観ていた機械獣との戦いが「INFINITY」の前史になっているわけ。一九七八年の、
『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』ですでに利用された手法で、『機動戦士ガンダム』も、
同じ手法で続編を成立。だからありきたりだが特異なのは、『マジンガーZ』は過去と明示したこと。
子供が落としたマジンガーZを親に引っ張られるまま、拾うのを避ける場面が意味深。結局、
通りかかって目撃した兜甲児自身が拾い、予告編の「神にも悪魔にもなれる」という台詞の場面に。で、
「映画の外」の概念で云えば時代と場所の両方で「外」での問題がINFINITY」に課せられたと、
考えられるのですね。
一つは子供にマジンガーZを卒業させてしまった問題で、もう一つは古臭いロボット(アニメ)が、
「今の時代に通用するか」という作り手自身の問いかけであり。当時の「さらヤマ」が有終の美を、
宇宙戦艦に飾らせるための製作者/制作者からの盛大な祭りだったが、「INFINITY」は、
劇中と同じように『マジンガーZ』が過去のものと認識されている時代(=今)に公開を。
私自身は作り手自身の二つの問題提起に対し、両方とも勝ったと理解し。尤も本作の兜甲児は、
人間としてあまりにも見本にすぎ、私の創作では利用しつくされた上で排斥される人物かも。
あっち過ぎ 作詞:Phew [4077karishiro.txt]
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